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ボランティアから社会起業家に。障がい者と私の「やってみたい!」で就労継続支援B型事業所を開設
ボランティアから社会起業家に。障がい者と私の「やってみたい!」で就労継続支援B型事業所を開設
NPO法人フラットハート 理事長 青木恵美子さんEmiko Aoki
- わたしの強み
- 我慢強さ
- このしごとに必要な力は?
- 傾聴力、継続力、継続するための力
- 年齢
- 47歳
- 家族
- 単身赴任中の夫、息子
- NPO法人フラットハート社
フルタイムで働いて家事と育児を両立。37歳で次のステップへ
新卒で働き始めて、22歳で結婚、30歳のときに妊娠・出産しました。妊娠中に夫の海外赴任が決まったのですが、海外での出産は難しくて、別々に生活することにしました。それが今でも続いています。
出産してからは赤ちゃんと二人きりの生活。初めての育児で毎日、不安と孤独でいっぱいでした。そんな中、夫の海外転勤先でテロ事件のニュースが飛び込んできて・・・。産後うつになってしまいました。
幸い、すぐに病院に行くことができたので、早い段階で治すことができました。そのときに、産後うつは誰にでもなる可能性があること、私はまじめすぎるところがあると気が付きました。なんでも自分でやらないとだめだと思い込んでいたんです。だけど、ときには人に頼ることも大事ですよね。大変な時、つらい時は迷わず人に頼っていいんだとそこで学びました。
一年の育休取得後、子どもを保育園に預けフルタイムで職場に復帰しました。しごとはやりがいもあるし、楽しかったです。ただ、子どもが小学生に入ったころ、疲れもたまっていたのか、体がいつも重くて。そのときから、休日は身体のメンテナンスと癒しを求めてアロマサロンに行くことが多くなりました。そして、引越しをして会社が遠方になったのをきっかけに、37歳で思い切って退職しました。
アロマコーディネータの資格を取得。生活介護事業所でボランティアとして再スタート
退職後、アロマをもっと学びたいと、学校に通ってアロマコーディネータの資格を取得しました。1年くらいじっくり時間をかけて資格を取ったあと、友人に誘われて「社会福祉法人かれん」(以下、「かれん」)で月1回、アロマハンドケアのボランティアを始めました。友人は障がいのある人を対象に、アロマは手軽でリラックス効果が高いことを知って欲しいと啓蒙活動をしていたんです。
ボランティアを始めたものの、福祉の知識はゼロ。対応の仕方は日々、ハンドケアに来てくれる障がい者に接する中で学びました。心掛けていたのは、何かしてあげようという気持ちではなくて、友達感覚で接すること。関わっていく中で、一人ひとり対応を変える必要があることを痛感しました。
障がい者の「私もやりたい」がきっかけ。
任意団体を立ち上げ、障がい者のアロマハンドケア提供をサポート
ボランティアを続けて5年がたった2011年6月、利用者の方の「私もやってみたい」という一言をきっかけに、障がい者自身がアロマハンドケアを提供できるようサポートを始めました。障がい者のしごとの選択はとても狭いというのが現状なので、新しい分野に挑戦する機会を作れたらと思ったんです。そして9月、任意団体「スイミー」を立ち上げて、主に「かれん」の中にある「カフェモア」でアロマハンドケアのサービス提供をスタートしました。
「カフェモア」でアロマハンドケアを続けていくうちに、子育て支援拠点や有料老人ホームに出張で呼ばれるようになりました。出張事業では港北区の「みんなの助成金」を活用しながら、ハンドケア10分500円で実施。出張に行くと、「私を待っていてくれる人がいる」という責任感が障がい者自身に生まれるのも良かったですね。
アロマハンドケアは、自然な形で障がい者と健常者が知り合う場です。心地よいアロマの香りと優しいタッチのハンドケアは、初対面でも距離をぐっと縮めるし、その経験が障がい者について考える契機になればと思っています。
それに、障がい者にとってアロマハンドケアの後に「ありがとう」って言われるのは、すごくうれしいこと。認めてもらっていることを、ダイレクトに実感できて承認欲求や自己実現欲求が満たされます。出張先で出会う高齢者やカフェに来てくれるお客さんなど、いろんな方とアロマハンドケアを通してふれあっていく、今までにない社会参加だと思います。
子どもが自閉症と診断。当事者同士とゆるーくつながる「ぬる茶会」を開催
「スイミー」での活動を始めた半年後、子どもが自閉症だと分かりました。私自身、ボランティアで障がい者と関わっていましたが、特に知識もなく、発見が遅れました。それだけ分かりづらい障がいでもあったんですね。診断された当初は気持ちがひどく落ち込んで、何も手につかないほどでした。そんなとき支えになったのは、「かれん」に来所する障がい者のお母さんたちの存在でした。
そんな支え合いの中で、当事者同士の支えが大切だと、「スイミー」のメンバー6人と一緒に「ぬる茶会」を作りました。障害のある子どもを持つ保護者同士が、そのときたまたま隣に座った人とぬるーいお茶を飲みながらゆるーくつながって帰る、そんな緩やかな会にしたくて、こういう名前に。このゆるく集まって悩み事や笑い話を持ち込んで、前向きに子育てをするためのお茶会は今でも続いています。
きっかけはいつも障がい者。自分に何ができるか考えたとき、「起業」が見えた
「スイミー」の活動を始めて1年ほどたったころ、仲間と今以上に力を合わせていくための仕組みづくりを知りたくて、横浜市男女共同参画センターが行った「社会起業塾」に参加しました。そのプログラムの中で、都筑区にある精神障がい者が働いている「NPO法人五つのパン」に行って、ネットワークづくりが大切だということや、障がい者一人ひとりによって対応の仕方は変わることなど、多くのことを学びました。それに「五つのパン」さんは食べ物もおいしいし、おしゃれなんです。このときの学びが、後に自分たちでカフェをオープンするときにとても参考になりました。
ただ、当時は自分が起業するなんて思ってもみませんでした。きっかけは、アロマハンドケアに挑戦したいという障がい者の方が増えてきたこと。障がい者雇用を積極的に進めるよう特例子会社が設置されて、受け入れ態勢も整ってきていた時期ではありましたが、辞める人も多かったんですね。そういう状況を見てきて、自分に何ができるのか考えたときに、「就労継続支援B型事業所開設」のための「NPO法人設立」が見えてきました。
実際に決意してNPO法人設立に向けて行動に移すまでには2年かかりました。そして2016年、障害者総合支援法が成立し、就労継続支援制度ができて、やるなら今だと。これまでの活動の中で培ってきたつながりの中で、申請情報を教えてもらい、新しい仕事の可能性を開くことができました。子どもが小学校5年生になって落ち着いてきたことも大きかったですね。
準備期間は1年間。就労継続支援B型「ボタニカルカフェおからさん」をオープン
就労継続支援B型とは、障がい者に就労の機会と、就労に必要な知識・能力の向上のために必要な訓練などの支援を提供する場です(障害福祉情報サービスかながわより)。開設するためには、NPO法人格等であることや、サービス管理者1名以上の人員が必要などといった様々な要件があります。
行政や「かれん」の理事長 新堂泰江さん、税理士などに相談して助成金獲得に向けた申請書作成を進めながら、場所を探し、お金と仲間を集めて、事業所開設の態勢を整えていきました。仲間は、これまでの「ぬる茶会」などのつながりから声をかけて集めました。
そして、2018年6月に10名のメンバーと「NPO法人フラットハート」を設立、10月には自己資金100万円、政策金融公庫のソーシャルビジネス支援資金と女性・市民コミュニティバンクの2件からの融資300万円を資本にして、「ボタニカルカフェおからさん」をオープンしました。
カフェでは、おから家料理研究家の高橋典子さんと連携して、年間2万トンも廃棄されているおからを使ったランチプレートやデザートを提供しています。私はカフェ経営や飲食販売などをしたことがないので、開設にあたってはたくさんの人が力を貸してくれました。
もちろん、失敗は星の数ほどあります。開所したばかりの頃に家賃が払えなくなったのは、苦い経験ですね。予め利用人数を国に申請して、それに応じて助成額が決まるのですが、想定していたよりも人が集まらなくて。結局赤字になってしまい、持ち出しで工面したんです。
起業するときにはもちろん不安でしたが、できると信じていました。きっとできるに違いないと自分に言い聞かせて。苦労もしましたけれど、色々な人に助けてもらって今があります。
起業して2年目の春に2号店をオープン。地域に溶け込む場をこれからも作っていきたい
2018年4月、より駅に近い場所で新しく「カフェおからさん」をオープンしました。利用者が増えてきたのと、自主製品を持って売り上げを上げたいと思って。ちょうど、八百屋さんだったところが空き家になって、大家さんに貸してくれないかと直接声をかけたら、運よく借りることができたんです。同時にそれまでのボタニカフェおからさんを、アトリエにし、主に革製品などの制作の場にしました。今では利用者21名、スタッフ11名、ボランティアスタッフ13名で運営しています。
また、アトリエでは横浜市介護予防・生活支援補助事業をはじめました。近隣にお住いの要支援1.2の方々を対象としたサロンのようなものです。園芸療法や歌声喫茶など、様々なプログラムを楽しんでいます。
これからは、まだ早いかもしれませんが世代交代を視野に入れて人を育てる力を身につけていきたいと思っています。今は理事長という立場ですが、小さな団体から始めたので自分がリーダーになるなんて思いもよりませんでした。上から目線でいたくないという気持ちが強かったんです。だけど、時にははっきりと決めないといけない時もある。みんなの意見を聞きながら、方向性をはっきり示していける、羅針盤のような存在になりたいと思っています。