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どんなにつらくても、明けない夜はない。 2回の転職を糧にして、シングルマザー支援のNPO「はぴシェア」を設立
どんなにつらくても、明けない夜はない。
2回の転職を糧にして、シングルマザー支援のNPO「はぴシェア」を設立
NPOはぴシェア 理事長
秋田 文子さんFumiko Akita
- 取得資格
- 教員免許、日本語教師免許
- わたしの強み
- 明けない夜はないと思っていること
- このしごとに必要な力は?
- 課題発見/解決、コミュニケーション能力
- 年齢
- 52歳
- 家族
- 母、子ども
- はぴシェア
初職は総合職。妊娠・出産を機に退職して再就職
4年制大学の教育学部を卒業後、総合職で(株)リクルートに入社しました。当時は、男女雇用機会均等法が施行されて2期目。周りの女性の友人は、まだ一般職での就職が多かったですね。
リクルートを選んだのは初任給が高かったから(笑)。しごとは、新卒採用の予定がある企業に、広告を出しませんかと営業をかけることでした。今の「リクナビ」のようなものを作っていたんです。在職期間は4年ほどで営業と人事を経験しました。
その後、26歳で結婚、27歳で第一子を妊娠したのをきっかけに退職。当時、育休制度はなかったので、辞めるしかなかったんです。それにリクルート時代はかなりハードに働いていたので、子どもを育てながらしごとを続けるのは難しいと思いました。
子どもが1歳になったころ、また働きたいと思って、「託児所あり」のしごとを探したんです。それで、見つけたのが病院の看護助手。病院は、看護師など働きながら子どもを育てている女性が多くて、子どもの病気にも理解のある環境だったんですが、第二子を妊娠したので、産休までで辞めました。
今度は、二人目の子どもが1歳になるころまでは家にいたいなと思って、子育てサークルにも関わっていました。最初はメンバーとして入って、その翌年には代表に。子どもって、親がいなくても、周囲と十分コミュニケーションとってやっていけるんですね。「私が育児しなきゃ!」と思わなくなったのは、このサークルのおかげです。
講師、テレアポ、内職、子育てサークルと数々の職種を経験
子どもが1歳と3歳になったころ、リクルート時代の先輩に「新入社員の研修講師をやらないか」と声をかけてもらい、不定期の業務委託としてしごとを再開しました。しごとを始める前に研修講師のトレーニングを受けさせてもらったのですが、この経験は今でもとても役に立っています。
そのほかにもテレフォン・アポインター(テレアポ)の声がかかって、当時住んでいた社宅妻たちといっしょにテレアポを始めたり、ボールペン組立の内職をやったり。今考えると、ワークシェアと育児シェアを、社宅妻ネットワークでやっていたということですね(笑)。
そうこうしながら、第三子を出産、30歳までに子どもを3人産みたいというのが、夢の一つだったんです。
育児サークルは、その間もずっと続けていたのですが、34歳のとき、夫が日系企業の労務コンサルタント会社の共同経営者になったので、香港へ移り住むことになりました。子どもたちが3歳、5歳、小学2年生の時です。
香港へ移住して3つのしごとをかけもち。家事はアウトソーシング
香港では、3つのしごとを掛け持ちしていました。夫の会社の事務と、香港に住む日本人向けのフリーペーパーの営業と編集、それから日本語教師です。毎日すごく忙しくて、幼稚園に預けていた子どもたちを夕方迎えに行って、またしごとに戻る、というような生活を続けていました。
こんな生活が続けられたのは、女性が働きやすい環境が香港にあったからこそ。香港では、女性も結婚していても子どもがいても働き続けるのが当たり前で、女性管理職も多いんです。
家事は、アウトソーシングしていました。香港での生活を通してわかったのは、家事は誰かに代わってもらうことができるということ。家事を外に出すことで家族と過ごせる時間が増えるし、自分も楽になるということを実感しました。
香港では4年間生活し、すごく楽しかったのですが、2004年4月、離婚を機に日本に帰国することになりました。
離婚、帰国。シングルマザーとして就活を開始
離婚は調停を起こしたので、その間は就活せず、日本語教育検定の免許取得を目指して学校に通っていました。調停中は、自己肯定感がすごく落ちる。調停しながらしごとを探すのは難しいけど、勉強はいいですよ。訓練校とか学校に行くと生活が規則的になるし、新しいことを覚えると少し自信が戻ってくる、おすすめです。
離婚が成立してから、就職活動を始めました。自分としては、ポンポン決まると思っていたんです。やる気はあるし、英語も使えるし、香港でも働いていたし。でも、20社に応募して、面接に呼ばれたのはたったの3社。方向性が定まっていなかったこと、日本でのブランクが長かったこと、必要以上のことを履歴書に書いてしまったのも敗因だったかもしれません。
そこで、働くときの条件を「勤務時間が9時~17時」に絞って探しました。それから起業にも関心があったので、どうしたら起業できるか調べているうちに、ベンチャーキャピタル(VC)から出資してもらう方法があることがわかって、VCにも関心が出てきました。
それで、まずエンゼル証券という大阪本社の会社に入って営業を1ヵ月、それから関連のエンゼルキャピタルというVCに出向して1年、そこでしごとで、リクルートの先輩が立ち上げたセレブリックス・ホールディングス株式会社と関わることがあり、経営戦略部人事グループのマネージャーの誘いを受けて、’06年1月に転職しました。
シングルマザー人材紹介事業を立ち上げ。オンリーワンのナンバーワンになる
シングルマザー対象の人材紹介サービス、「はぴシェア」を立ち上げたのは、’08年の4月です。
VCの先輩が(株)エイトパートナーズという会社を設立するときに「何かいい事業アイディアはないか」と声をかけてくれ、私も出資して実現しました。
はぴシェアを始める前から、ずっと女性の「働く」を応援する事業をしたいと思っていたんです。ただ女性の「働く」事業というのはとても多岐にわたるので、ニッチでオンリーワンになれるものを考えて、「シングルマザー」に特化した事業にするアイディアが生まれました。香港の経験から女性もサポートがあれば十分に働けること、シングルマザーとして日本で就活した経験から子どもを持ちながら就職先を見つけるのが困難なことは分かっていましたから、仕組みをなんとか作りたいと思ったんです。
VCには1年しかいませんでしたが、ビジネスの立ち上げ方を学べたことは、はぴシェアを立ち上げるときにとても役に立ちましたね。
はぴシェアは、認知も進んで会員登録も増えたのですが、残念ながら人材紹介事業としてはあまりうまくいきませんでした。企業のニーズと働きたいシングルマザーの希望がマッチングしないんです。企業の募集はサービス業が多いのに、シングルマザーは9時~17時勤務の正社員事務職を希望する方が多い。事業を回すために試行錯誤しているうちに、‘10年1月にエイトパートナーズが「はぴシェア」から撤退することを決定しました。
「へこたれない」ことが私の強み。しごとはやっぱりおもしろい
会社は撤退を決めたけれど、私はシングルマザー支援のビジネスを続けたかった。それで、会社を辞めて、事業譲渡先と自分を雇ってくれる会社を必死で探しました。そして ’10年2月に当時母子家庭の母に向けた就業訓練を行っていた(株)エイジェックへの事業譲渡が決まりました。
このときは、本当にたいへんで、胃が痛くなるような思いをしました。でも、へこたれなかった。離婚とか香港から帰国する時とか、修羅場、危機的状況を何回か経験してきて、今どんなに最低でも明けない夜はないと知っていたから。そう思えることが私の強みだし、その思いが私を支えてきました。
そして’16年4月、エイジェックに認めてもらって「はぴシェア」をNPO法人化しました。これからは「はぴシェア」の事業を次世代に引き継げるように、事業の核を作っていくつもりです。
しごとはお金を稼いで生きる糧を得る手段ですが、私がしごとを長く続けてこられたのは、それだけが理由ではありません。やっぱりしごとって、おもしろいんです。
チームと一つのことをやり遂げたり、お客様が求めていることと私が提案したことがパッとはまったりした時、本当にうれしくてやりがいがあります。そんな仲間をもっと増やすために、そして事業をより進めるために、採用にも力を入れて、一緒に頑張れるメンバーを増やしていきたいと思っています。
秋田さんからのメッセージ
Life & Career History