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マイスターの技と気配り・心配りで魅せる。 6つの店舗を経営する美容師
マイスターの技と気配り・心配りで魅せる
6つの店舗を経営する美容師
有限会社カオリ代表取締役会長 美容師 新田 景子さんNitta Keiko
- 取得資格 特技
- 管理美容師
一級着付け技能士
職業訓練指導員 - わたしの強み
- 人のいいところを見つけること
- このしごとに必要な力は?
- コミュニケーション力、継続力、柔軟性
- 年齢
- 74歳
- 家族
- 夫、娘
- ウェルカオリHP
- 横浜市経済局横浜マイスター事業HP
21歳で美容専門学校へ入学。「働く母親」の先駆け
小さいころから人の髪を結ってあげるのが好きで、美容師になりたいとずっと思っていました。私が高校を卒業した1960年代初頭は、高校を卒業したら就職するというのが一般的な時代。両親もそれを望んだので、高校卒業後は民間企業に就職しました。
でも、どうしても美容師になる夢を諦められなくて、3年後に退社。21歳のとき美容専門学校に入学しました。美容専門学校で、公衆衛生や保健衛生などの学科と実技を学びました。当時、実技はウィッグなんてなかったから、全部アイモデル(人間)です。生徒同士がお互いに練習しあうんですね。卒業した後は1年間インターンとして、実際に店舗へ行って実地を学びました。
23歳のとき国家資格を取得して、横浜の美容室に入社。念願の美容師として働き始めました。その後、24歳で結婚、26歳で出産しました。
回り道してやっと美容師になって、美容のしごとが好きで、自分から始めたことだったから、子どももしごとも両方、手放したくなかった。欲張りだったんですね。それで、出産後、子どもは保育園や学童保育に預けて、夫や義母、近所の人たちに助けてもらいながら、家の近くの美容室に変えて働き続けました。「働く母親」の先駆けだったかもしれません。
30歳で独立。チャンスは躊躇せずにつかむ
7年間ほど雇われて働いて、転機は30歳のとき。たまたま家から近いところに、居ぬき物件を見つけたんです。設備などはすでに整っている状態で、内装などを友人に助けてもらいながら、自分のお店をオープンすることにしました。
実は、独立したい強い気持ちがあったわけではないんです。でも、私、チャンスが来たら、あまり躊躇せずに「やってみよう!」と思うタイプなんですね。「お金がいくら貯まったら○○しよう」じゃダメなこともあると思いますね。チャンスは来たときつかまないと、結局動けずに終わってしまうと思います。
オープン当初は、一人でお店を切り盛りしていたのですが、まもなくインターンを受け入れることにしました。お金がなかったから、報酬を出すのもたいへんで、インターンの報酬のほうが、自分の給料より高いくらいでした。お店で出る洗濯物も、毎日自宅に持ち帰って洗っていました。
お客さんは、口コミや紹介でだんだんと増えていきました。大きなクラブのママさんが、お店の若い人を紹介してくれたこともありました。学生時代から渋谷の美容室でアップスタイルを結うアルバイトをしていたので、クラブで働く女性たちにとても喜ばれましたね。
お店をオープンする時もした後も、近所の方には、よく助けてもらいました。同じ団地に住んでいた人が、保育園に子どもをお迎えに行ってくれたり。だれも子どもを見てくれる人がいないときは、働いているお店に連れて行くこともありました。お店も理解があって、アットホームな環境で、家族や地域のみんなに支えられながら働いていましたね。自分一人の力ではなくて、周囲の人がお店を育ててくれたと思っています。
自分で借りて自分で返す、リスクをとって事業を拡大
第1号店を出しているとき、「どんぶり勘定じゃダメだよ。公庫からお金を借りて、信用つけると次にお金を借りやすいよ」と、アドバイスしてくれた人がいました。だから、借りたお金は、最優先できちんと返済していった。その実績が認められて、2店舗目からは公庫からお金を借りて、3店舗目からは満額のお金を借りてオープンできました。自分で借りて自分の力で返す。財産がなくても、実績をつくって信用が得られれば、事業はできる。事業をしたいと思ったら、借金してリスクをとる勇気も必要だと思います。
お金を返しながら事業を大きくして、今、6店舗を経営、30名の従業員がいます。1993年、4店舗目としていずみ中央駅ビル店(現在の本店)をオープンするのを機に、法人化しました。会社を起こすにあたって、経営コンサルトの助けを借りながら就業規則を整え、組織を作りあげていきました。店や会社の名前についている「カオリ」は、娘の名前です。
美容師として大事にしていること
私が、しごとで一番大事にしているのは、気配り・心配り。美容室は、接客業です。お客様が求めているのは、技術だけじゃない。せっかく美容室に来たからには、外見はもちろん、気持ちもきれいに、楽しくなってほしいと思ってお客様に接しています。
もちろん、美容師として、自分の技術を磨き続けることは大切です。自分で頑張って身に付けたことは、必ず全部自分に返ってきます。私も、自分を磨くために、海外に行ったり講習会に出たり、たくさんのお金を使いました。ほかにも、講師として技術を美容師に指導したり、ヘアショーに出たり、美容学校設立にも携わって来ました。だからこそ、私の技術を認めて、第1号店をオープンした時から何十年も通ってくれるお客様がいます。そして、お客様が私とお店を大切にしてくれるから、さらに勉強してそれに報いたいと思う。そういう、いい循環が、私の美容師としての技術やモチベーションを高めてくれたと思います。
後進を育てるということ
これからは、後進の育成に力を入れていきたいと思っています。私が一線を退いても、私についてくれたお客さんを安心して預けられるようにしていきたい。40年、50年と通ってくれているお客さんのためにも、そこはしっかり頑張らなきゃと思うんです。社内コンテストを開いているのも、従業員が、自分のしごとや職場に誇りをもって働いていけるようになってほしいからです。
元気を保つために、食事、睡眠、朝はお風呂に入って身ぎれいにしてと、できるだけの努力はしています。でも、70歳を超えて、若いころと同じようにお店に立つのは、むずかしくなってきました。
2年くらい前からは、お店に出るのは、開店から午後3時までと時間を区切って働いています。それでも、私の売り上げは、一番良いんです。私がトップで居続ける姿勢を見せるということ、働く後ろ姿をきちっと見せるということは、後進を育てていくうえで大切なことだと思います。親と同じなんです。
それから、人のいいところを見つけることや柔軟性も大事です。いいものは柔軟に取り入れていく。そうでなければ、人は押し付けのように感じてしまって育ちません。お客様に接するときも同じ。先入観を持たないで、何か光るところを見つけて認めると人間関係も円滑に進みます。
うちには、何十年も働いてくれている従業員、定年退職した後も、再雇用で働いてくれている従業員がいます。長い間積み重ねたお客様がついていて、お客様が「辞めないで」と言うんですよ。65歳でも70歳でも、健康であれば働けるし、働いてほしいと思っています。
新田さんからのメッセージ
Life & Career History