002【別冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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横浜連合婦人会の解散かくして財団法人大日本連合婦人会の進出するあり、他方財団法人横浜連合婦人会も現存し、ここに両連合会の並立せる状態に在りしが、昭和九年に至って財団法人横浜連合婦人会理事長渡辺多満子氏より、同会の財産経営一切を挙げて市教育課に一任したき旨の申し出あり。市もまたこれが応諾の意を表明せしも、この後遷延して実行の運びに至らず、同会よりしばしば督促ありたる結果、大西市長の裁断により、同市長政子夫人を理事長に就任せしめ、渡辺理事長の退職を見ることとなりしも、その正式手続を終了するに至らずして、大西市長の退任となり延びて大西理事長の就任は自然解消せられ、理事長の職務は再び渡辺理事長に逆戻せしが、同会ではこの一時的変則を是正するため、大西市長に代って市長に就任せる青木市長夫人於兎猪氏に理事長就任の交渉をなし、その了解を得たり。同十年五月三十日、横浜市中区花咲町三ノ九六・九七地内の宅地二、九七余坪の借入につき神奈川区鶴屋町三ノ四七吉田とよと会館敷地介入の土地賃貸借の契約を結びしが(右は土留石垣に当たる箇所にて一か年金六円を地代として支払い昭和十五年一月一日より同十九年十二月三十一日に至る期間に)、十一年には五月十一日に会の組織並びに寄付行為につき評議員の協議会を開きかつ事業報告を行い、八月よりいよいよ正式に会の事務一切を市教育会に移管し、十一月二十一日インターナショナルウーメンスクラブ主催の茶会に協力するところありたり。同十二年七月理事上郎やす、同時田たづ両氏の住所変更登記を行い、十二月には横横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる102


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