「フォーラム通信」2024年夏秋号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2024年夏秋号の特集は、「いま働く人に聞いてみた~私の職業選択~」「女・男には向かない職業(?)~仕事とジェンダー格差の観点から~」。「母子専用のシェアハウスをはじめて」。


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まだ名前の無い○○第11回つながりたいもどかしさ世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。先日驚いたニュースがあった。「エコーチェンバー」「フィルターバブル」といったデジタル空間の特性を理解する用語の認知率を調べたところ、日本では前者は5%、後者は6%の認知度しかなかったのだという。これはそれぞれ20〜40%程度の認知率だった韓国・アメリカと比べても著しく低い。エコーチェンバーとは、SNSでは自分の好むタイプの人をフォローするため、何か意見を表明すると同調するリプライが多く返って来る状況のこと。その反響(エコー)によって自分の意見が多数派だと思い込むケースがある。フィルターバブルとは、デジタル空間では自分の興味関心が薄い情報や都合の悪い情報は事前に振るい落とされる(フィルターがある)傾向があるため、いつの間にか自分の好む情報の泡(バブル)に取り残されてしまうこと。私が「大丈夫だろうか」と思ったのは、日本人の認知率の低さよりもむしろ自分に対してである。日常的にこのような言葉を使って原稿を書いている私はつまり、5〜6%の人にしか訴求していない。自分のTL(タイムライン)を眺めていると、これらの言葉は8〜9割の人が知っていると思い込んでしまいそうになるのだが、そんな私こそ自分の周囲のフィルターバブルに無自覚だったのだ。ところで私は性暴力や性差別を主に取材するライターだが、近年になって「この言葉があって良かった」と思うことが頻繁にある。例えば「ミソジニー」。女性嫌悪と訳されることが多いが、ケイト・マンは『ひれふせ、女たちミソジニーの論理』(慶應義塾大学出版会/小川芳範訳)の中で、セクシズム(性差別)は「女は男より劣る」という考え方、またはその正当化であるのに対して、ミソジニーは「男>女」の構造に抗議する女に対してぶつけられると説明した。わかりやすく言えば「生意気な女を制裁したい」欲である。また、男にとって都合の良い女とそうではない女を分断しようとするものでもあり、ミソジニーとセクシズムは支援関係にある。女性の働きづらさや性暴力被害を記事にすると、大変感情的なコメントが寄せられることがある。「もう女性差別なんてないのだ」とか「女が甘えているだけだろう」とか「男性の性被害も取材しろ。しないならそれは性差別だ」といったふうに。さらにひどい中傷まがいの内容もあるが、いちいち覚えていたくない。ああ、もの言う女を黙らせたいのだなと感じる。そして「ミソジニー」という言葉があることによって、これは私にだけ向けられた憎悪なのではなく、ずっと昔から「はて?」と疑問を口にしてきた女性たちに投げつけられてきた矢なのだとわかる。ピタッと当てはまる言葉を獲得することは、同志を見つける感覚と似ている。しかし一方でこうも思う。声を上げる女性たちが手にする言葉は、カタカナが多いのだ。男性が女性に対して一方的に知識を披露し優越感を得る「マンスプレイニング」、有害な男性性と訳される「トキシック・マスキュリニティ」、親密に結びついた男性のグループによって女性や性的マイノリティを排除しようとする「ホモソーシャル」。あるいは女性が被害に遭いやすい「トーンポリシング」(主張の内容ではなく言い方や態度の問題にして論点をずらすこと)や「ガスライティング」(被害者に自分が悪いと思い込ませる心理的虐待)もそうだし、女性運動の中でよく使われる「エンパワメント」(力を与えること)や「シスターフッド」(女性同志の連帯)もカタカナだ。これらが輸入された言葉である事実は私にとって少し重い。それほど日本では女性が連帯のための言葉を紡ぐことが難しかったのかと思ってしまうからだ。また、こうカタカナばかり使っていては、お高くとまっているとか、それこそ知識をひけらかしていると思われて敬遠されるのではないかと心配になる。もっと多くの人に言葉を届けたいのだ。それはつまり、もっとつながりたい、もっと仲間を見つけたいということでもある。エコーチェンバー、フィルターバブルを破り、もっと広い場でつながりたい。女性運動は現在進行形でなかなかつらい局面が多いのではあるけれども、分断されるのではなく、まだ見ぬあなたとわかり合いたい。手と手を伸ばして、つなぎ合いたい。日本の女が全員でちゃぶ台をひっくり返せば、「女はわきまえろ」なんて思っている政治家の数を減らせると思うから。この言葉にならないもどかしさに誰か、名前をつけてくれませんか?●小川たまかライター/フェミニスト。1980年東京都生まれ。編集プロダクション取締役を務めた後、独立。著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)、共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない性暴力をなくす30の視点』(合同出版)など2年前から保護猫の親子と暮らしています。どちらも初老。最近はなるべく多く食べてくれるフードを探す毎日です。【今回の担当は小川たまかさんです】フォーラム通信2024夏秋号8


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