「フォーラム通信」2022年夏秋号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2022年夏秋号のテーマは、特集「自分の声を大切に」。


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フォーラム通信2022夏秋号8まだ名前の無い○○第8回まだ名前の無い「ぼくたち」世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。たち」」に触れる瞬間があるということだ。それは、健太郎と、産夫人科(というのだろうか)で出会った花屋の宮地という妊夫とともに、妊夫たちのためのオンラインサロンを立ち上げ、そのオフ会を行うくだりである。男たちが集まり、ふくらんだお腹を見せあい触れあって自分の体験した胎動を説明したり、乳が張ってきた時の乳パッドについて相談したり、毛が濃くなったことについて話し合ったり……。男性がこのように、自らの身体について率直に話しあう風景というのは、これまでに存在しただろうか。存在したとしてもそれは例えば、男同士の下ネタコミュニティの中で性器について揶揄的に語るといった場合だけだったろう。もちろんこれまでもメンズリブ運動においては、男性が自らについて語りあう試みはなされてきた。だがそれをこのようにポピュラーなヒューマンコメディの形に昇華してみせたことに喝采を送りたい。男たちがこんな風に自分の身体について何の衒いもなく語りあう様子は、ユートピア的と言っても誇張ではない。きっと、こんな男たちがいる世界はより公正でやさしい世界てらだろう。●こうのしんたろう専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門は英文学、文化研究。著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版)、『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)、訳書にウェンディ・ブラウン『新自由主義の廃墟で──真実の終わりと民主主義の未来』(人文書院)など。撮影:石井真弓だろう。ほとんどの妊娠は変わらず女性がする中、一部の男性が事故のように妊娠する。背景となっている、女性が生きにくい社会は相変わらないまま、一部の男性が妊娠をする社会なのである。それによって、女性たちは相変わらず差別的な社会に苦しむ一方で、妊娠してしまったマイノリティの男性たちは「女性化」され差別されるという複雑さが導入されているのだ。この複雑さによって、ドラマで描かれる世界は私たちの世界と地続きなのだ、という感覚を生み出すことに成功している。また、制作者たちは現代世界をよく分かっているなあ、と思わせたのは、「多様性」をめぐる問題についてだ。冒頭で健太郎は、「多様性」を前面に押し出した広告を企画してプレゼンをしている。このような形での「多様性マーケティング」とでも言えるもの、つまり「多様性」が商業的な利益となる範囲において肯定されることは、非常に現代的な状況だろう。これまでのよくあるパターンでは、健太郎が性差別的な人間で、妊娠の経験を通じて心を入れ替えるという筋になりそうだが、そうではない。健太郎は多様性の重要性は少なくとも頭では分かっている。(そのことはベタに性差別的な部下との対照で表現される。)それだけではなく、自分が妊夫という「多様」な存在になってしまったことを逆手に取って、自分を広告の媒体にさえするのだ。この「多様性」の商業利用の問題については、紙幅が限られているのであとは読者の手に委ねたい。私はこれが、現代的な男性性のある種のリアルさをよく表現していると思った。最後に述べておきたいのは、この作品が「まだ名前の無い「ぼく坂井理恵作の漫画『ヒヤマケンタロウの妊娠』(講談社)を原作とする同名のNetflixのドラマシリーズは、現代の男性性を考える上で非常に興味深い作品である。原作から設定が大きく変更されているのでここではドラマ版に基づいて論じるが、主人公・桧山健太郎は敏腕の広告マンで仕事は順風満帆、ついでに言うなら容姿端麗で恋人にも困っておらず、「全てを手に入れた」男性に見える。ところが誤算。彼は「妊娠」してしまうのだ。というのは、このドラマの設定は、ほんの少しだけ私たちの世界とは違うプチSF設定で、「男性妊娠」がまれに起きる世界なのだ。健太郎は自分のお腹の子どもが、恋人でフリーライターの亜季との間の子どもであることを確信する。健太郎は、妊娠をした女性なら経験するであろう様々な苦難を経験する。つわりなどの身体的苦痛だけではなく、公共空間での妊婦、いや妊夫差別、出産・育児とキャリアの両立の困難に直面するのだ。(最初彼は中絶しようとするのだが、なぜ思いとどまるかは作品をご覧いただきたい。)ここまでの紹介を読めば、このドラマは、男女の役割を入れ替えて、女性がいかに差別され不利をこうむっているかを浮き彫りにするタイプの物語だと思われるかもしれない。(同じくNetflixのフランス映画『軽い男じゃないのよ』のような。)これは、韓国フェミニズムにおける「ミラーリング」の戦略にも通ずるものがある。女性が受けている差別を、鏡に映すように男性に向けるという戦略だ。確かにそういう側面がこのドラマにはある。だが、このドラマの肝は、そこからは外れたところにあるように思える。決定的に重要なのは、「男性だけが妊娠する世界」と設定はされていないこと【今回の担当は河野真太郎さんです】大学ではほぼ対面授業に戻り、学生たちがキラキラしてます!が、私は久々の教壇でぐったり疲れてます……。


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