「フォーラム通信」2021年冬春号

横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2021年冬春号の特集は、「私、の夢」「コロナ疲れを感じているあなたに」です。


>> P.8

まだ名前の無い○○第5回「、でも……」が語尾にくる生き方世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。フェミニズムに傾倒した理由はいろいろあるけれど、遡ればわたしが「男の子みたいな女の子」だったことと、大いに関係あると思う。人とコミュニケーションをとるのが苦手で、女の子の輪に溶け込めなかった幼少期の記憶には、男の子と遊んでいたときのものが多い。女の子との思い出には痛みが伴う。そこにはたいてい、仲間外れにされたり、酷い言葉に傷ついたり、訳もわからず謝っている自分がいる。超合金の変身ロボットや戦隊モノが好きで、メンコや王冠を集め、忍者ごっこや駒まわし、探検ごっこが大好きだった。もちろんお人形も持っていたし、ゴム段もやった。小学校低学年のとき初めて女の親友ができたけれど、彼女もズボンしか履かない女子プロレス好きの子だった。数年して転校すると、心を許せる女友達はまたいなくなった。同時に思春期に突入し、男子の中にも混ざれなくなって、一人で過ごす時間が増え、成績だけが上がった。小さい頃には憧れのお姉さんがいた。中学では、その気持ちが同級生や身近な人に向くようになり、さらに高校で恋心に変わった。女の子だけじゃなく、男の子のことも好きになった。自分の身体が「女」みたいになっていくのが嫌で、ボーイッシュな服を男の子みたいな体型のモデルに着せているファッション誌ばかり読んでいた。男の子になりたかったわけじゃない。ただ、自分じゃない人間になりたくなかっただけだ。男じゃない=女。だから、大好きなものや人を諦めなくてはいけない。そんなショッキングな事態に、理解可能な根拠や説明がないなんてと、すごく苛立っていた。制服のスカートを穿かされること、座り方や喋り方や笑い方を注意されること、サッカーや少林寺拳法を習わせてもらえないこと。スポーツや勉強で男子に勝ったり、自分の意見をちゃんと言ったり、男の親友がいたりするだけで怖がられたり、冷やかされたりすること。理由は全部「女の子だから」で、じゃあその女の子ってなんなの、というわたしの疑問に答えられる大人はいない。女の子に見える(幼少期は男の子に間違えられてばかりいた)けど、女の子みたいにできない自分は誰なのか。その問いは劣等感に姿を変えて、生体用マイクロチップのように、自分の奥深いどこかに埋め込まれたままだ。18歳のとき、「サルトルの恋人だった」ボーヴォワールという哲学者の『第二の性』という本を読み、そこに書いてあることがまさに自分の知りたかったことだと思えて、胸が躍った(その日からはサルトルが「ボーヴォワールの残念な彼氏」になった)。あの頃、フェミニズムについて読んだ本はそれだけだ。美大生になったわたしは、外国のアンダーグラウンド音楽や現代アート、映画、クラブシーンや二丁目のバーで会う友達などから、「女らしさ」に中指を立ててもいいことと、その方法を教わった。わたしは、「わたしはフェミニストじゃない、でも……」世代のフェミニストだ。「女の子文化の肯定」はこの世代を象徴する戦術だが、髪を伸ばすほど「男」に間違えられがちな自分は、そのテイストに疎外感を覚えることもある。フェミニズムのことを知るほど解放される気がするときも、かえって窮屈だと思うときもある。シスターフッドという言葉は好きだが、連帯って言葉はかなり苦手。第二波フェミニズムを担った運動家や学者やアーチストを心から尊敬するけど、母と同世代(でも生き方や考え方は随分違うはず)の彼女たちを怖れてもいる。できれば、母相手のときぐらい気軽な感じで、彼女たちとおしゃべりしていろいろ訊きたいと思うし、わたしのことも知って欲しいと思う。わからないのは苦しい。だから知りたいし、はっきりさせたい、でも……。「わたしは男じゃない、でも……」女でもない気がする、でも……。じゃあ、なんなのか?考えに考えたが、別にもうわからなくていいやと最近は思う。説明できない、わたしはこうだと言い切れない自分でい続けることのほうが、わたしをはっきりさせるより面白い気がしてきた。一貫性を頑なに守るより、揺れる自分を楽しみ尽くして死にたい。末尾に「でも……」さえあれば、立ち止まらず思考し続けられるはずだから。●ながしまゆりえ東京都生まれ。写真家、文筆家。1993年、美術大学在学中に「アーバナート#2」パルコ賞を受賞。2001年、写真集『PASTIMEPARADISE』で第26回木村伊兵衛写真賞受賞。2010年、短編集『背中の記憶』で第26回講談社エッセイ賞受賞。2020年、第36回写真の町東川賞国内作家賞受賞。近著に『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)、『Self-Portraits』DashwoodBooks)がある。展覧会に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々」(2017東京都写真美術館)、「知らない言葉の花の名前記憶にない風景わたしの指には読めない本」(2019横浜市民ギャラリーあざみ野)など。【今回の担当は長島有里枝さんです】そこそこ酷いギックリ腰ですが、彼氏と鍼の先生に内緒でバレエレッスンに行きたいです。フォーラム通信2021冬春号8


<< | < | > | >>