「フォーラム通信」2020年夏秋号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2020年夏秋号の特集は、「私、のなやみ」「自分のためのこころとからだのメンテナンス」。


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まだ名前の無い○○第4回百科事典は社会を映す鏡世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。私は2010年からウィキペディアンとして活動している。ウィキペディアンというのは、誰でも書けるフリーのオンライン百科事典であるウィキペディアで編集をしている人のことだ。皆さんが読んだことのある記事の中に、私が書いたことがあるものもあるかもしれない。私の仕事はもちろんウィキペディアンではない…のだが、最近、だんだんウィキペディアが本業に浸食していっている。研究者で、ふだんは大学で英文学を教えている。2015年から、大学の授業でウィキペディア記事を作るのを始めた。ウィキペディアは著作権の決まりを守れば、外国語版の記事を翻訳して日本語版記事としてアップすることができる。私もいつもは翻訳で記事を作っており、学生に英語から記事を訳して新しく日本語版ウィキペディアに載せてもらうというプロジェクト授業を始めた。それ以降、ウィキペディアについて解説を書くとか、教育イベントでウィキペディアについて話すといった仕事がやたら増えてしまった。そんな中、ここ数年私が関わっているのが、ウィキペディアにおけるジェンダーギャップを減らす活動だ。実はウィキペディアの編集をするユーザのうち9割近くが男性だと言われており、ウィキペディアは性差別的だということがいろいろな調査で言われている。女性の人物記事や、女性が関心を持ちそうないわゆる女子文化にかかわる記事などは、男子文化の記事に比べると全く充実していない。これはウィキペディアだけではなく、百科事典はたいていそうだ。事典や辞書は社会を映す鏡であり、社会に差別があれば、その社会から生まれた事典や辞書もそれを反映する。百科事典がいくら社会を映すものだと言っても、社会自体が歪んでいれば、その鏡も歪んでしまう。ウィキペディアにおけるジェンダーギャップを減らすのは、鏡を磨くことだ。自分で女性にかかわる記事を書くだけではなく、いろいろな執筆イベントを企画して女性に関する記事をみんなで作る。近年、テーマを決めてウィキペディアの記事を書くエディタソンというイベントが盛んに行われるようになっている。地域情報や文学などが人気のテーマだが、ジェンダー関連のエディタソンというのもよく行われている。2014年にアメリカで始まった女性と芸術がテーマのエディタソンプロジェクトであるアート+フェミニズムは2018年に日本にも上陸した。2018年にはスウェーデン外務省の支援で、女性の人物記事を増やすエディタソンプロジェクトであるWikiGapが始まり、2019年から日本でも行われるようになった。私は両方に書き方講師として参加している。こういうジェンダー関係のイベントはしょっちゅう攻撃にさらされる。他のエディタソンに比べると運営しにくく、注意が必要だ。女性がテーマのエディタソンをすると、たいして重要でもなさそうな記事をわざわざ作るつもりかとか、女性に関する記事の数が少ないのはそもそも活躍している女性が少ないからなのでそこに介入するのはおかしいとか、いろいろな文句が出てくる。他にもあまり人に知られていないようなとても狭いテーマで行われるエディタソンはたくさんあるのだが、こういう批判が来るのは女性がテーマのイベントだけだと言ってよい。作る記事の質が悪いと何か言われるのでクオリティの担保も必要だし、やたらモチベーションの高い参加者が宣伝みたいな記事を書いてしまわないよう注意しないといけないし、支援するほうも気遣いが必要だ。横浜の神奈川県立図書館は、日本の文化施設の中でもこうしたウィキペディアのジェンダーギャップ減少に貢献をしてくれている図書館だ。エディタソン支援にもとから力を入れており、2019年にはひなまつりに女性の記事を作るエディタソンをはじめ、2020年もWikiGapの一環としてイベントをする予定だった…が、悲しいことに新型コロナウイルスの感染予防で対面のエディタソンはなくなってしまったものの、オンラインエディタソンとして女性の記事を作るイベントを主導した。県立図書館レベルの蔵書量があると、調べ物が格段にはかどり、初心者でもちゃんとした記事が書きやすくなる。感染症予防のためにウィキペディアのエディタソンも開催できず、図書館も閉まってしまったのでウィキペディアンたちは寂しい日々を送っているが、図書館が再開したあかつきにはまた是非ウィキペディアに貢献したい。●きたむらさえ武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。東京大学で学士号及び修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士課程を修了。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、観客研究、フェミニスト批評。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち─近世の観劇と読書』(白水社、2018)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か─不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書誌侃侃房、2019)、訳書にキャトリン・モラン『女になる方法―ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018)など。【今回の担当は北村紗衣さんです】新型コロナウイルス流行で外出できないのですが、毎日世界各地の舞台配信を見ているため多忙ですフォーラム通信2020夏秋号8


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