003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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横浜市女教員会女教員の待遇改善や修養について、女教員自身に研究討議させるとして、一九一七年に帝国教育会主催で第一回全国小学校女教員大会が開催された。これを受けて各地で女教員会が発会。一九二〇年九月、神奈川県では横浜市女教員懇談会と横須賀市小学校女教員会がほぼ同時に組織された。横浜市女教員懇談会の設立趣意書には「会員相互の意志疎通を計り修養を重ね円満裡に児童教育の相談研究を遂げん」とある。他地域に多い女教員の待遇改善は挙げていない。事務所は横浜市教育会に置き、会長はおかず幹事による集団指導体制で名誉顧問に各小学校校長を推戴。一九二九年に横浜市女教員会と名称を改めてからの会長は市の教育課長で、自主的な団体というより市教育会が育成した半官製団体といえる。毎年の全国大会には十人前後が出席、一九三〇年には全国小学校連合女教員会副会長に石川小学校の石川ふさを送り出している。月次会に東京女子高等師範学校教授下田次郎の講演、裁縫講習会や割烹講習会、研究発表会もひんぱんに実施。横浜連合婦人会で活動したのは、横浜小の軽部はな、一本松小の筧しづ、西前小の桜井キンら。神奈川高等女学校前身は一九一四年に横浜市内南吉田町の仮校舎で出発した私立横浜実科女学校。実家女学校は裁縫や簿記などの実科に重点を置く。翌年、横浜実科高等女学校となり、神奈川区沢渡に移転。一九二一年に神奈川高等女学校と改称。横浜大空襲で校舎全てを失ったが、再建して一九四八年に神奈川中学校を併設し、九〇年から神奈川学園中学校・高等学校と改称した。横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる228


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