003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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廻米問屋の寅次郎、母はきえ子。家庭教師について教育を受けた。二十三歳で陸軍歩兵中尉吉本兵四郎と結婚するが、翌年夫は日露戦争に従軍し旅順で戦死した。一男あり。一九三四年、横浜連合婦人会を代表して、大日本女子青年団・大日本連合婦人会主催、文部省後援の第二回満蒙視察団に参加、満洲旅行日記を出版した。与謝野晶子門下の歌人でもある。その他、神奈川県愛国婦人会評議員、県赤十字社篤志看護婦人会評議員も務めている。住所は横浜市鶴見区鶴見町寺尾(『日本婦人の鑑』)。クララ・デニスン・ルーミス一八七七(明治一〇)~一九六八(昭和四三)評議員。米国カリフォルニア州サン・ラファエルで生まれた。父ヘンリー・ルーミスは、一八七二年に横浜に来た宣教師で、六人の子どもがいる。クララは父が病で帰国していたときに生まれ、三番目で長女。三歳で日本に、その後学業のために帰国し、スミス大学で学び、コロンビア大学とユニオン神学校で修士号を取得した。一九〇一年、二十四歳で共立女学校の第四代校長に就任。同校の創立者の一人J・クロスビーの要請を受けてのことである。停滞していた学校に活気を取り戻し、ドリーマス・ホールなどを建て、校章、校歌、スクールカラーを制定するなど発展に尽くした。関東大震災のときは伊香保で夏休みを過ごしていたが、二十日間かけて横浜に帰る。途中で目にした惨状、復興に努める女性宣教師たちの様子を「この大きな出来事横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる220


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