003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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家庭製作品奨励会会員。柳下太左衛門の次女。田中らゑ(たなか・らえ)賛助員。田中らく(たなか・らく)一八五〇(嘉永三)~不詳実業家・貿易商の田中善助の妻。善助は一八七六年にサミュール商会に入り総支配人を務め、のち独立し直輸貿易の道を開いた。綿麻紡績株式会社、横浜商業銀行など京浜間の銀行・会社に関与して、一九一五年、横浜商工会議所議員になった。らくは日露戦争の折は、横浜奨兵義会婦人部委員になり記者のインタビューに応じている。一軒の家を持っているとなかなか用が多いものだが、「家族をおいて戦争にお出になった方々に対して申訳がございませんから送迎も慰問も欠かさない様に致しております。生いのち命を捨てて迄お尽しになる方の事を思いますと家に許ばかり引込んで居られる時じゃございません」(『横浜貿易新報』一九〇四年十月十九日)。横浜基督教婦人矯風会、横浜婦人慈善会、家庭製作品奨励会会員などで渡辺たまと行動を共にしている。住まいは中区宮崎町。田沼志ん(たぬま・しん)一八七七(明治一〇)~一九七〇(昭和四五)評議員。教育者。父の田沼太右衛門は若くして米穀、山林、地所木材その他、多方面の業を営んだ実業家で、横浜における電気事業の初めとされる横浜共同電灯会社195人物・団体註


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