003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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杉原さと(すぎはら・さと)賛助員。高垣梅子(たかがき・うめこ)評議員。旧姓内田。一九〇六年に高垣勣次郎と結婚。勣次郎は同志社英文科を経て、アメリカ・バプテスト派のロチェスター神学校に入学。二一年から捜真女学校の教頭になり、二九年に第四代校長に就任した、日本人初の校長である。三二年まで務めた。関東大震災では、校舎は無事だったが寄宿舎が被害を受ける。この震災で梅子は足首に火傷を負った(『日本キリスト教歴史人名事典』)。戦時下では、大日本婦人会の役員、県の物価委員、町会の役員などをしている。高木鐸(たかぎ・すず)一八七〇(明治三)~一九四二(昭和一七)賛助員。東京生まれで、駿台英和女学校に入学し、宣教師のアンナ・キダーから英語を、M・ホイットマンから刺繍やレース編みを習った。十年ほど英語教師をしたのち、教え子らの協力で、横浜地蔵坂近くに高級レースを扱う店を開き、一九〇七年には「ミセス・タカギの店」を本町一丁目に、〇九年に結婚した夫の八十男を店長にして、本町二丁目に営業部門の高木商店を開業した。オリーブの枝をくわえた白鳩を商標にし、総ガラス張りのショーウィンドーに高価なレース製品を飾った。女主人が英語ができる上に製品は技術的193人物・団体註


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