003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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市方面委員を務めた。青木町に住み、三男一女がある。佐伯八重(さえき・やえ)一八五七(安政四)~不詳初代佐伯藤之助の妻で、二代目佐伯藤之助の母。日露戦争のときは横浜奨兵義会婦人部委員として四区を担当し、「名高い強国との戦いではございますし、人間の身体に譬えて見ますれば生いのち命に係わる大病でございますから人民が皆一致して此病気を根絶やしにする様に尽くさなければなりません」と覚悟を語っている(『横浜貿易新報』一九〇四年十月二十九日)。青木町に住み、二宮わかとは家が近く、横浜婦人慈善会の理事もしている。横浜家庭製作品奨励会会員でもある。三枝すみ(さえぐさ・すみ)評議員。酒井げん(さかい・げん)評議員。笹倉智遍(ささくら・ちえ)一八七七(明治一〇)~不詳評議員。愛知県中村郡の生まれで、旧姓棚橋。共立女学校教師のピアソンの門下生で、一八九七年、海岸教会の稲垣信牧師より受洗。日曜学校で教えている。海岸教会三代牧師笹倉弥吉の妻で、二男六女を設けた(海岸教会の一九二九年総会記録・笹倉牧師の渡米時の総会記録より)。191人物・団体註


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