003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


>> P.181

とも書く。生い立ちについては資料がないが、資産家の石川仙之助の再婚相手。家庭のことで心理的におちいっていたとき、横浜婦人慈善会の会員となり、稲垣寿恵子と知り合う。稲垣の指導により蓬莱町教会(現、横浜上原教会)で受洗したことを、稲垣の小伝『露香』で告白している。「信者の末に連り信仰を楽しむ事になりました事は、全く先生の感化に因る事でございまして、終生忘るる事の出来ない次第であります」。日本の公害の原点と言われる足尾鉱毒事件では、石川が在籍する横浜基督教婦人矯風会や蓬莱町教会でも被害を訴える演説会が開かれ、市民の関心が高まった。谷中村を遊水池にするための政府の強制買収に抵抗する支援者たちのいわゆる一坪運動で、夫の仙之助も社会主義者の福田英子の斡旋で土地所有者になる。雪は福田とともにたびたび谷中村を訪れており、雑誌『新紀元』(一九〇六年十「思ひ川の風浪」を寄稿し、「実に月)にや破堤の惨状、悪水溢れて陸を浸し、痩田水底に葬られて稲田浸し、泥水波濤を起して民家の床を打つの状、目もあてられぬ計りなり」と被害の惨状を描写している。夫が急死したのちは後を継ぎ、裁判で谷中村の闘いを最後まで支えた。勝訴したのは一九二〇年である。石川町中村一〇八七に住み、福田が創刊した『世界婦人』の発行費用を寄付するなど福田の活動も支援した。横浜基督教婦人矯風会では一九一一年から会計を担当し、蓬莱町教会では平田平三牧師を支え、三一年三月に行われた「平田平三牧師伝道五十年祝賀会」では聖書朗読を行っている。その活動については、田中亀之助『平田平三伝︱日本メソジスト教会発達の一断面』181人物・団体註


<< | < | > | >>