003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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東大震災と第二次世界大戦。とくに大震災が横浜の女性たちの社会活動のきっかけとなり、活動の中心には常に「渡辺たまさん」がいたと知り、深い感慨と興味をおぼえました。乳児を抱えて被災した女性や着の身着のまま焼け出された人たちに思いを寄せ、その人たちに届く、ぬくもりある支援を一〇〇年近くも前に女性たちが担ったという事実。そのうえ彼女たちの志は、被災直後の活動のみにとどまりません。これからの自分たちの活動の社会化や横浜の復興支援にむけて、拠点の建設を発意します。大震災から一年を期し何事かならざらん」と、婦人会館設立として実を結びます。て始めた行動は「精神一到もちろん、婦人会館はゴールではなく、女性たちの社会活動にとってのスタートラインです。なんという先見性と行動力でしょうか。一世紀を経て、女性と防災に取り組んでいた私たちは、たまさんたちからバトンを渡されていたように感じました。2009年には私たちの防災事業も、地元企業からのご寄付や多様な活動団体との連携で軌道に乗りつつありました。「すべてはたまさんのお導きなのかも」。肖像写真のたまさんがいっきに身近な血の通った存在になりました。たまさんたちの社会活動を辿る過程では、本冊子にもご協力いただいている嶋田昌子さんと一緒に東奔西走。デジタル化されていない写真を掘り起こし、所縁の方に話を聴きました。女性たちの社会活動には、開港によって新しく出現したまちならではの気風が根底に流れていたと考えています。それは今でいうところの多様性・ダイバーシティの力です。横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる174


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