003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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海を越えてもたらされた宣教女たちのフロンティア精神、教育の場をともにすることで培われた連帯感、他の地方から横浜にやってきた女性たちの多様な経験値、そして活動継続に欠かせない資金集めと人脈をもった商家のおかみさんたちの才覚。新しいまちだからこそ、足りないものがある。困っている人がいる。それを自分たちの目で見て、必要なものは自分たちで作りだそう。自分たちにはその力がある。みんなでやれば、楽しい……知れば知るほど、そんな女性たちの声が聞こえてくるように思いまし8ページ)を見ると、団体の性質を超えて、活動をともにた。横浜連合婦人会加盟団体(3していたことが分かります。宗教も文化も出自も異なる人たちが一緒に何かを成すのは、現代においても難しいでしょう。第一には、渡辺たまさんというしなやかな強さをもったリーダーの存在が大きかっただろうと考えます。そして、活動を通じて掲げた志、女性を取り巻く社会の風潮にむけての凛とした志が、本冊子に名を残している女性たちのみならず、当時、活動に携わった名もなき一人ひとりの勇気の源になったからこそと想像しています。横浜に生き、多様性を体現していた先輩女性たちを誇りに思います。最後に、不思議なご縁のようなエピソードを記しておきます。男女共同参画センター横浜南となっている婦人会館の建物。その竣工日は1978年9月1日。関東大震災発災の日であり、翌年たまさんたちが十銭募金を開始した、奇しくも同じ9月1日でした。常つねみつ光明子(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会事業本部担当部長)175コラム渡辺たまさんとの邂逅〜横浜を生きた女たち


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