003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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うという事業でした。しかし、この事業はスタートから挫折の連続になりました。いわく「地震は男も女も関係なく見舞われる。なんで女性の視点が必要なんだ?」「地域防災は女性には荷が重い分野だ」となかなか賛同は得られず、予算もゼロ。雨漏りのする施設の修繕費を工面して、事業費を捻出する始末でした。そのようななか迎えた、2009年。横浜開港一五〇周年ということで、私たちは、開港当時からの横浜の女性の足跡をたどる事業にも並行して着手していました。(※開港一五〇周年記念「横浜と女性」企画展)そして、この事業を通してセンター横浜南の前身といえる横浜の婦人会館をつくった女性たちの社会活動を知ることになりました。それは私にとって、渡辺たまさんとの邂逅でした。11923年(大正12)年9月1日午前18分。相模湾北西沖を震源とする大地震時5が発生。横浜では当時の市域の8割が倒壊や焼失の被害を受けています。その瓦礫のなかから、女性たちが被災者支援に立ち上がったことは、本書に詳しく記されています。私がその活動を知ったのは、テントの前に立つ女性たちの写真がきっかけでした。横浜というまちは開港以来の歩みのなかで、二度、大きな災禍に見舞われています。関173コラム渡辺たまさんとの邂逅〜横浜を生きた女たち


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