003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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尹:会館の活動を通じて、「自分の名前」がつくというのはわかる気がする。今もそういうの、ありますよね。江刺:人物解説を書くために掲載されている女性たちを調べていると、新聞記事にもいろんな史料にも「〇〇夫人」としか出てこない。社会的地位のある夫のことは詳しいのに、生没年がわからない女性が多い。尹:会館の開館式に行政関係者の参加者が少ないのも、本当にやると思ってなかったことができちゃったので面白くなかったのかなぁ、と。女性たちの団体ということで、軽んじられていたかも。式辞で原三渓(富太郎)が「事柄は結構なことだが、この震災後の横浜の経済危機のなか、こんな計画不可能だろうと思ってました。だから、最初に渡辺会長に聞いたときは賛意しなかったんですけど、よくやりましたね」みたいなことを書いていますよね。全然褒めてない(笑)。天下の原さんがこんな心の狭いことを書くなんて!とびっくりしました。女性がやることを男性が評価しないことは、今もたくさんあるよなぁ、と。嶋田:横浜シティガイド協会(1992年設立)は私が中心になって立ち上げたので、私が会長をしていたけど、「女の会長か」と言ってくる人もいましたよ。165【座談会】「横浜連合婦人会館史」からいま受け取ること


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