003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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もしていた。羽仁もと子の教えって、国策に差しさわりはないけど、すごく命を重んじる人間教育ですよね。彼女もクリスチャンだし。だから、よくわからないんだけど上手くやってたんじゃないかな。江刺:官製っぽい活動との境目が難しいですね。1931年に文部省の官製団体である大日本連合婦人会ができて、全国の地域婦人団体をどんどん傘下に収めていくんです。横浜連合婦人会も入れと言われるが、抵抗する。それはすごいなと思うんですよね。時勢が進んでどうにも抵抗しきれなくなって、それでも入るのが嫌だったから横浜市に預けてしまう。小園:経営者としての政治的決断だったのでは?嶋田:商売だから、駆け引きとして抵抗して、どこかに他の道がないか探す。江刺:バランスが、上手いよね。石山:今の男女共同参画センター運営に置き換えて考えてみると、若い世代のネットワーキングにセンターが利用されているのかなぁ、されてないなぁ、と。いま、若い人が、なかなか学びや活動をする時間や余裕がないなかで、どうしたらいいのか悩ん161【座談会】「横浜連合婦人会館史」からいま受け取ること


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