003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


>> P.160

かかわりました。会員ではないんですけど(笑)。YWCAや、横浜連合婦人会は、場があるから学びの場を設営できる。学んで、活動する。活動すると、まだ足りないと思うことが出てきて、更に学ぶ。こうやって「学ぶ」と「活動」を車の両輪のようにやっていたのでは。施設があることで、車の両輪になって動き始めたのが婦人会館だったのではと思います。小園:先日、横浜YWCAにもご挨拶に行ってきました。その時に聞いたのが、戦争中にYWCAの事務所が横浜指路教会に移転したそうで。その時に、職業教育で使っていたタイプライターを土に埋めて守ったんですって。それで戦火を免れて、終戦後早くに事業も再開できた。高価なものだったし、考えを伝えるための道具だったから大切にしていたのかな、と。嶋田:英語教習やタイプ教習なんかがどんどん廃止されていく中、YWCAでは、1941年の真珠湾攻撃の後も続けてるんですよね。江刺:YWCAは民間の施設として、ずっとそういう活動も続けていたんですよね。満州事変後の婦人会館はどちらかというと国策に沿った講習会が多かったようです。嶋田:でも最初のころ、自由学園の羽仁もと子を呼んで、衣食住から生活を見直す勉強会横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる160


<< | < | > | >>