003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


>> P.156

それから、横浜市には幕末開港後、多くのキリスト教の教会が作られました。その施設を使って女性たちが活動できていた。そういう経験が、「活動には拠点が必要」という考えにいったのではないかな、と。また、課題でいえば、少し面白いのが、野村美智はYWCAの活動のなかで「職業婦人」のために「安心してお昼ご飯が食べられる場所」を提供しています。当時の横浜で働く若い女性たちが、気兼ねなくランチができる場所がなかったということを課題と捉えたわけですね。あと、確かに女性の社会活動は福祉的なものが多いけれど、婦人慈善会病院では、貧しい人たちを無料で女性の医師や看護師が診ている。福祉とくくるのは簡単だけど、そこに関わる女性たちの主体性の在り方が他都市とはちょっと違うんじゃないかな、と思うんですね。江刺:拠点づくりということでも、明治時代、さっきお話に出た婦人慈善会病院も拠点という役割は持ってましたよね。そういう婦人慈善会みたいな団体って、東京では、華族や政治家の妻たちがトップだったけど、横浜にはそういう人がいないわけだから、商家やキリスト教系の人たちがトップを務めた。それは大きな違いですよね。それから、関東大震災の時に、東京でも東京連合婦人会ができるわけですが、その後、参政権運動や廃娼運動につながっていった。一方、横浜では、そういった女性解放運動的な動きは弱い。そういう運動をする人材が東京に行っちゃうというのもあるんですけど。横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる156


<< | < | > | >>