003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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開会辞に始まり吉川夫人の会計報告、二宮夫人の建築設計者雪野技師の紹介及び雪野技師の工事報告等ありたる後、二宮夫人より請負者に対する感謝状の贈呈あり、続いて池田知事(戸塚学務部長代読)、有吉市長、大谷市教育長(代読)、原社会事業協会長(渡辺利二郎氏代読)、井坂商業会議所会頭、平沼市会議長(大貫副議長代読)、東京婦人連合会代表者等の祝辞があり、最後に三宅本社長また一場の祝辞演説を為し、ピアノ独奏の後渡辺夫人の挨拶を以て式を閉じ、一同は、更に階上の各室を巡覧し其間茶菓の饗応ありて午後四時散会した」長い記事を引用したのは、女性たちの思いの詰まった会館の落成式だというのに、知事も市会議長も祝辞は代読。女性たちの快挙を奈良時代の王朝女性たちの慈善事業にたとえて褒め讃えている原富太郎の祝辞も代読というのはいささかしらける。原は、横浜の豪商原善三郎の孫と結婚し、原家の家業を継ぎ、生糸問屋のほかに輸出部を創始。第二銀行、横浜興信銀行頭取などを歴任。古美術を収集、新進画家を後援した人である。心から祝い、励ましたのは三宅磐横浜貿易新報社社長だが、記事のほうは○○夫人の連発で名がないのは、夫の付属物と見なされていた当時の女性の地位を物語っている。135「横浜連合婦人会館史」解説「横浜貿易新報」1927年5月8日


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