003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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の恐慌を切り抜けるための官製運動で、一部特権階級の運動と批判されながらも、衣食住や日常生活の慣習・儀式などの簡素化、合理化が奨励された。高木は文部省の生活改善同盟会の意を受けて、主婦の意識改革に取り組んでおり、その指導で横浜の家庭製作品奨励会の事業が行われたのではないか。ただ、委員長の渡辺たまは、横浜孤児院を経営するなど慈善事業に力を入れており、旗の日会にしても、家庭製作品奨励会にしても、事業による収益を恵まれない子どもたちに振り向ける心づもりだったようだ。家庭製作品奨励会が「いよいよ本格的事業にとりかかろうとした時、予期せぬ災害に「横浜貿易新報」1927年5月13日129「横浜連合婦人会館史」解説


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