003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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一九一一(明治四四)年に二階建ての洋館を建設し、講演会や会合などに貸し出したのが早い。現在も東京都港区に存続しているのは一九三六年開館の財団法人日本女子会館。大日本連合女子青年団と大日本連合婦人会を中心に官民あげて資金調達した結果できたもので、いわば国策としての婦人会館だった。このほかにも半官半民の団体である愛国婦人会や大日本国防婦人会が建てた会館が地方都市にあった。民間の女性関連施設では、日本基督教婦人矯風会が廃娼運動の一環として設置した東京大久保の慈愛館(一八九四年)が最も早いとされる。また東京基督教女子青年会(東京YWCA)は一九〇五年に東京基督教女子青年会館を、一五年には木造三階建ての神保町会館を建設している。いずれも建設資金は海外からの寄付が大きい(『女性の学びを拓く』)。「横浜貿易新報」1927年5月7日117「横浜連合婦人会館史」解説


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