003【横浜連合婦人会館史を読む】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる116女性の活動はここから男女共同参画センター横浜南(フォーラム南太田)の前身が、横浜連合婦人会館(のち、横浜市連合婦人会館、戦後は横浜市婦人会館)だったことはあまり知られていない。同会館は、関東大震災の傷がようやく癒えた一九二七(昭和二)年に、横浜の女性団体の集まりである横浜連合婦人会のメンバーが一口十銭の募金を集めて建設した、女性による女性のための館やかただった。現在は、全国に公設の男女共同参画センター、女性センター、婦人会館などがあり、民間施設としても婦選会館や主婦会館など多くの施設があり、女性問題解決のための拠点として、各種の研修・交流・情報収集を提供するなどの場になっている。しかし、戦前の日本の社会教育はほとんどが政府主導によるもので、網羅的に人を集めて団体作りを優先し、相互に知識を獲得するのではなく修養を目的にしていた。よって、女性の学びを拓く拠点としての場所作りは重要視されなかった。女性社会教育団体の施設としては、皇族や華族の女性たちが会員の大日本婦人教育会が


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