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横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる96横浜市連合婦人会〔別冊〕横浜市連合婦人会は、大正四年に創設せられた横浜家庭製作品奨励会にその源を発し、更に大正十二年十一月に至って、横浜市内所在の二十有余の婦人団体の結合に成る、横浜連合婦人会の活動に次いで昭和三年十二月、財団法人横浜連合婦人会と名を改め、前後二十年にわたる輝く歴史を記録をしるしたるが、昭和十一年八月、一切を挙げて横浜市に移管し、同時に横浜市連合婦人会と称することとなれり。大日本連合婦人会の創立と加盟これより前、昭和五年十二月二十五日をもって、財団法人大日本連合婦人会の創設を見たり。同会はその発会式の宣言において「我等ハ時代ノ進運ニ伴ヒ全国ニ亘ル婦人団体ノ普及発達ヲ図リ其ノ連絡ヲ密ニシ相率井テ家庭教育ノ振興ニ寄与セムコトヲ期ス」とあり、全国道府県並びに各植民地連合婦人団体をもって加盟単位とする建前において、横浜市に対しても文部省社会教育局長・關屋龍吉氏より、市内婦人団体代表者として、同会理事の推薦方を依頼し来たれるため、市においては協議の結果横浜連合婦人会理事・野村美智子氏を推挙し、その就任を見たりしが、翌六年三月、さらに横浜地方幹事部の設置方依頼あり、市に