001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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なりと存じます。夫人はつとにわが横浜市神奈川県における閨門先覚者として、家庭の賢夫人として社会事業家、慈善家として、その他あらゆる方面に対して功績の偉大に、令名の遠近に洽くあらせらるることは恐らく誰知らぬ者は無かろうと存じますが、親しくお目にかかり知をかたじけのうし御世話になるほどに、かつて聞きし令名とは又別に得も言い知れぬ一種の霊感に撃たるるような思いが致するのはそもそも何によるでしょうか。そこに偉大なる何物かをもち給うことを感ぜずにはおられませぬ。私が初めて夫人を知りましたのはかの大震災前、旧伊勢山皇太神宮内の能舞台において、故二宮わか子女史と共に礼式実演会かを主催なされし時なりしかと記憶しておりますが、当時私は「あぁ、あの御方が有名な孤児院長の渡辺夫人か」と深く脳裏に印象致したのでございました。後に横浜連合婦人会員として夫人のもとにお手伝いさせて頂くことになり夫人の温情に接する機会も多くなりました。いつも私共が夫人に接して感ずることは□〔判読不明〕失礼なることながらいかにも些末のことにまで注意を払われ、いわゆる行き届きたる御方と拝する一面に、とかく女性に欠けがちなる大局高所に立ちてことを判断処理さるることは、私共の平素敬服して止まぬところでございます。夫人は実に大海原のそれにも似て和やかなしかして広々した御心の持主であらせられます。趣味の相違、宗教の別それぞれ立場を異にするもそのすべてを包容なさるのでございます。接触せらるるいかなる人をも愛されます。果てしもなき親切の御心をもっていやしくも他人に苦しみありと知らるる以上これを救はでは止まず他人の幸福は御身のことの如くともに喜ぶなど常に心89渡辺玉子刀自景仰録


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