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君が大みな吉川とゑその昔、東京からの友達、関西からの親戚、さては知るべのものなど訪ねられますごとに野毛山をはじめとして三渓園海岸通りを案内いたしましたものでございました。大神宮様の裏山から遠く保土ヶ谷のあたりを眺めて私の指はかならず直ぐ目の前の渡辺様の御邸をさすのでございました。何にもまさる横浜の誇りとして、この遠来の人々に言葉につくせぬ玉子夫人の御徳のほんの僅かな一片を語るのでございました。横浜を離れて大森に住みます今は、何一つ輝かしい身の飾とてはおつけにならぬ尊い奥様の御心からいづる栄しい御香りを偲びまつりては折りふれ嫁に娘に又近しい若い人たちに話しきかせますと共に私自身への道しるべとも致しております。いとしい横浜のために百年も千年も御健かであらせられますようにとひたすらに念じまつることでございます。数おほきこのよこはまの名ところにまさりてしるき君が大みな八千の椿寿山本けい八面玲瓏の富嶽さえ来て見れば何の木も無しとか、高名の人必ずしも大徳ならず、近く接すれば醜さも見え交ること久しきにつれてかえって親しみ難きことむしろ世の常なりと聞きますのに近づくほどに益々その大と美とを感じ、久しきほどに様々その光と温かさとを覚ゆるは実に我が渡辺夫人横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる88