001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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たについて色々な感慨が胸の中に湧き起こってくるのを禁ずることが出来ませぬ。元来この会にははじめ私の母の名前を列ねさせていただいておったのでございまして、母の死とともにそのあとをうけて私が末席を汚すこととなったのが昭和二年でございました。それからここに足掛け九年、その間の悲幸様々の憶い出はさらに尽きないのでございますが、中でも何より印象深く心に刻まれておりますことは朝夕親しんしゃ炙させていただきました会長渡辺たま子刀自の御人格のことでございます。ただ淑徳とだけ申しますならば、他にその人もございましょうし、また女丈夫とだけ申すのでしたらほかにも然るべき方がいらっしゃるでしょうが、この二つのものを一身に兼ね備えていらっしゃる所に、人の及ぶことの出来ない刀自の御人徳があるのではございますまいか。今日ここにこうして連合婦人会が意義ある足跡を残すことが出来ましたのも、会員の皆様の御努力はもとよりさることながら、会長たま子刀自の渾然たるお人柄と御手腕とにあいまつことの非常に多かったことを感ぜずにはいられませぬ。ことに創設以来種々の困難を想い起こしますと一層「この名なかりせば」の感を深くいたすものでございます。私達今ここにこうして永年つらねて参りました手を別つことになるわけでございますが、それはもちろん連合婦人会という名前の上だけのことに過ぎませぬ。気持の上におきましては、もとより今までと同様、いえ今までよりも一層親しく手を執り合って婦人社会事業の上に努力して参りたいと存じます。会の名前はなくなりましても、やはり私達の精神上の指導をと仰ぐたま子刀自の御人格のもとに一層心を合せて社会の福祉のために貢献したいと存じておるの85渡辺玉子刀自景仰録


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