001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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でございます。よき誡田沼多けあそばされたのでございますから、この点につきましては今更申し上げる必要は無いと存じます。ここにはただ私が感じたことの一、二を書くことに致します。この度横浜連合婦人会が解散となりましたので、始めから会長としてお骨折下さいました渡辺玉子刀自について何か感想を書くようにとのことでしたので、私も拙き筆を運ばすことにいたしました。刀自は家政を始めて、内助の功をお立てあそばすかたがた、国家社会のために、お尽くしなさいましたことはどなたも既に御承知のことで、ことに本市の慈善救済の事業は、ほとんどご関与なさらないものはなくむしろこれ等の事業が、刀自のお力によって今日ありと申し上げてもよいと存じますくらいです。されば既に叙位叙勲の御沙汰もあり、また藍綬褒章のご名誉もお受け私は御息女増子様とは小学時代の親しいお友達でしたので、度々お宅へお邪魔もいたしました。ある日のこと刀自が中庭でお召使の者をお差図あそばし、御自分も親しく御手を下していらっしゃいましたので私が「おば様大変でございますね」と申し上げますと「大勢を使うには自分から先に立ってせねばなりませぬ」と仰せになりました。この御心持は私の小さい胸にも深く深く感じて今尚よい誡といたしております。また田沼家は渡辺家とは何かと御世話になっておりましたが、母は特に御懇心を受けておりました。いろいろの会や集いなどにいつも御一緒を願い、何くれと御親切に御引き回し下さいましたので、母は帰宅し横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる86


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