001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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の中には或は夫人を勝気な性格又は派手な人柄を有せらるるように想像されるかと存じますが、事実は反対で私は今日まで夫人のような謙遜で質素な御方を存じません。夫人は御自身を持すること極めて薄く、かつて震災見舞としてお貰いになるまで、通しの長襦袢をお召しにならなかったと承り驚いたことでございます。私が平素敬服しておりますことは、夫人が極めて寛宏な性質を有せらるることで、たとえば宗教的立場がいかに異っていようとも、いやしくも善事の為である限りは協力者の何人であるかを問わず、快く手を握ってお進みになることであります。こうした夫人を主婦とされる渡辺家が世間稀なる代表的な円満清潔の御家庭であられることは決して偶然ではないと思います。不幸にして先に夫君福三郎氏は逝去あそばされ、夫人も近来とかく引きこもりがちであられますが、私はこの誇るべき我が横浜婦人界の最も優れたる指導者がいよいよ御加養御自愛になり十分に老後の御清福をお□〔一字欠〕けになると同時に御健康の許す限り、今後とも私達を御導き下さるように切に願うものでございます。(昭和十一年日を迎えて)横浜市連合婦人団体結合の解散の日の催田村親昭和十年六月二十九日午後一時よりニューグランドホテルにおいて横浜連合婦人会の解散式を開催せられました。一時半開会、開会の辞を時田幹事よりせられ、渡辺会長、上郎副会長の感謝状を水崎夫人朗読あり、何となく涙ぐましくおもわれました。この連合婦人会もあの大震災の一年後まだ83渡辺玉子刀自景仰録


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