001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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が結成されることになりました。この時に当り夫人は会長としてつとに前線に立って会館建設に努力されました。その建設に対する功の半は実際夫人に帰せられるべきものと信じております。製作品奨励会は連合会の成立を機とし、五百円の所有現金を婦人会に寄付して解散されました。横浜連合婦人会は創立ここに十一年、その間夫人は会長としてよく団体の統制を計り、家庭の改善、救護事業その他国際親善等の方面に力をお尽くしになり、ことに経済的方面に至っては夫人の力にまつこと多く、副会長上郎やす子氏と共に財政上の責任をお持ち下さいました。たまたま文部省内に大日本連合婦人会の組織されますや、関屋局長自ら来浜され市の有力者を訪ずれ、結成に対する賛意を求められたちどころに千数十円の賛助費を得られました。当市には既に連合婦人会の組織があるので、これをただちに加入せしめて市統轄のもとに置き、市役所内に地方幹事部を設け、雑法会員の増加を計ることとなりました。しかるところ業務連絡上に少なからず複雑を来たしますので、夫人はこの際市連合会に合流することの最も時機を得たるものとし、かつは老齢のゆえをもって辞意を表せられ、時の市長大西一郎氏の許に会の全財産をあげて寄付を申し出られました。続いて十年五月、評議員会の決裁を経て総会を開き解散の手続きを取った次第でございます。しかして一切の所置を市教育課長に委任いたしました。夫人は前後を見透すことすこぶる賢明であって、物事にこだわらずあたかも行雲流水とは夫人を評するに最も当を得た言葉であると存じます。かく夫人の多角的な御活動を述べてまいりますと、未だよく夫人を御存じのない方横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる82


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