001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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その方は二宮わか子氏と私とで担当致しましたが、全部の事務の終りますのに二年かかりました。横浜の利益金の大部分は市図書館の基本金に寄付し、残額二千円は横浜孤児院、横浜貿易新報社会事業部、横浜婦人矯風会、横浜基督教女子青年会に五百円宛寄付されました。各地公共団体に販売を委託した分の利益は各自の事業に使用されました。瓜生大将繁子夫人を会長とする東京製作品奨励会の得たる利益は横浜側の努力によりたるもの多しとなし、これを折半し各々一千三百円の割当てになったと記憶しております。かかる好成績を得ましたのは、全く夫人の統轄よろしきを得たる結果にほかならぬことと存じます。往年横浜開港五十年記念のため、会館が市民の寄付によって建設されました時、製作品奨励会は第一回の展覧会とバザーを開催致しました時に一室は婦人の繊手のみによる製作品即ち刺繍、漆器、絵画、彫刻、鋳金等の陳列品をもって満たされましたが、観客蝟集して連日満員の盛況でございました。かの横浜の人後藤千代野氏の作宝大花瓶が嘖々たる好評を博したのもこの時でございました。展覧会によって製作品奨励会の存在を益々明らかにしたのでございます。大正十二年の大震火災により横浜市及び市民の大部分はその有するもの全部を灰燼に帰せしめました。その際キリスト教女子青年会はかろうじて分散したる会員の幾分を集めてテント内に活動を始め、一方県市の救済事業に参加致しましたが、かかる急を要する場合こそ各種婦人団体が連合して一斉に蹴起すべきであることを痛感し、柳原千代子氏の主唱のもとに横浜連合婦人会81渡辺玉子刀自景仰録


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