001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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四万円の現金、建物、什器等一切の財産をあげて同会へ寄付になりました。その後財団は一万円の基本金から生ずる利子をもって、救護事業を継続されておりましたが、震災後横浜連合婦人会が起るに及び財団は解散となり、資産は婦人会へ寄付されました。これによって婦人会は会館建築費の一部を得た次第でありました。徽章を一般市民に頒つ仕組みで、この小旗を胸間に附して奉祝の意を表したのでございます。夫人は会長として事業の全般を御指導になり、大橋繁子氏、渡辺八重子氏が専ら庶務の整理に当られました。私もこの事業に参加させて頂き、一生忘れることの出来ないいろいろな経験を致したことでございました。大正四年十一月、かしこくも大正天皇御即位の御大典に際し、東京市では花の会が催されましたが、横浜では髙木鐸子氏、ミセス・メンデルソンの主唱にかかる旗の会というものが企てられました。これより先夫人は同志の方々と共に授産事業を目的とする製作品奬励会なるものを起されましたが、曠古の盛儀に会し、会の事業としてこれを発起することになったのでございます。旗は西陣の織元に作らせた小形の日の丸に、奉祝大正四年十一月の文字を記した七十万本の小旗は内地はもとより北海道、台湾、朝鮮から遠くは上海、香港、サンフランシスコ、ロサンジェルス、ニューヨーク、ロンドン、ペルー、アルゼンチンにまで配布されました。根拠地の横浜では渡辺銀行二階全部が事務所に当てられ、夫人は日夜全員を督励なさいました。そしてとうとう市内のみで四十万本を売り尽くし、東京日比谷公園、新橋ステーション等における販売高も少なくはございませんでした。しかし集金にはなかなか苦心を要し、横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる80


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