001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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多角的な御活動野村美智子私がはじめて渡辺たま子夫人を親しく知りましたのは、日露戦役の当時でございました。これより先夫人は愛国婦人会神奈川県支部副長及び赤十字社篤志看護婦会神奈川県副長の職に在られましたが、我が国未曾有の国難に際し雄々しくも巾きんかく幗の身をもって奉公の御志をお立てになり、衆に先んじて将兵の送迎、戦地慰問品の募集等すべて軍国の女性として為し得べきあらゆる活動をなさいました。その目覚ましい御活躍いかばかり私ども後進者をして感奮興起せしめましたかは今更申すまでもございません。私はその頃は子供も小さく家事も忙しきままに、表立ったことを致しませんでしたが夫人の御熱心に励まされ蔭ながらお手伝いをさせていただきました。その頃横浜奨兵義会の中に婦人部がありましたが、夫人は設立者及び委員として間断なく御活動になり、その適切な御指導の結果としてむしろ男子部の方よりも一層積極的な働きをなされたように承っております。欧州大戦に際しては国際的に非凡の働きを示され、ためにベルギー皇帝陛下より勲章を賜るなど当市婦人のために大なる面目をほどこされました。夫人に関連して何人も思い起こす公共事業の一つは確かに横浜孤児院でございましょう。横浜孤児院の濫觴はかの本郷定次郎氏夫妻の孤児収容にありました。始め東洋英和の校長ミセス・ラージが深き同情をもって万事を指導なされ、その当時学生の私も先生御さしずの許に孤児の衛生等につき世話を致しておりましたが、同氏は榎本武陽子の那須野開墾に共鳴し、孤児をひきい横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる78


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