001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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くく非難もこうむりがちでございますのに、私が御厄介になっておりますこの横浜市の各婦人会におきましてはかつてその声をききません。いつも和やかにすくすく会が生い立ち伸びてまいります。それはもちろん会員皆様方の献身的なご努力によるものと存じますが、またその蔭には渡辺玉子刀自の御徳と智によって成される大きなお力のあるを感じます次第でございます。このたび横浜連合婦人会の解散にあたり、長らく会長として御重務につかせられました渡辺玉子刀自の御骨折に対しまつり、無学老人の私も何か心に溢れる感謝の一ふしを拙ない筆に托しまして御礼の心にかえさせて頂きます。かえりみますれば明治三十七、八年戦役当時も篤志看護婦人会その他銃後の守として種々の婦人会を組織せられ、朝な夕な先頭に立たれ傷つく兵士らを慰められ、また慰問袋を発送せられたり日夜労苦を厭わせられず婦人方を督励あそばされます御活動ぶりは今も記憶の新たなことでございます。また孤児院の院長として多くの哀れな孤児を養われたり、色々の慈善事業あるいは女子教育に歴代の知事夫人を援けられまして横浜婦人のため今日の栄ある基礎を築かれました。限りない御功績は浜の歴史の永く伝えますことと存じます。何十年来大木の蔭にすがり咲く大草のように、公私共に御心厚い御指導を蒙りまして、力強く今日まで過ごさせて頂きましたことを考えますと感謝の涙が流れてまいります。なおこの後とも益々お元気に日本婦人のため御健康と御幸福のいよいよ栄えまさんことを祈り上げてやみません。77渡辺玉子刀自景仰録


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