001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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から二、三日の後買物に出ました電車の中から、三宅さんが二人曵の力車に無帽の元気よい御姿を見まして、ほんとうによかったと思わず目頭の熱くなったことを覚えています。不用品交換バザー大正十四年十一月神嘗祭を卜して、かねての計画が実現されて不用品交換バザーが記念会館で大々的に開催されました。余興は素人隠し芸持ちよりと言う趣向でなかなか盛大なものであり、相当な好成績を得ました。なにぶん横浜で最初の催しでもありましたので、その入場者の多かったには市役所でも驚いてしまわれたのはいいが、あとで石畳がへこんでしまったとか、手擦りが傷になったとかと色々お小言が出ました。そのお蔭で翌々年のバザーからは借用料が値上げになり、また下駄履き禁止ということになりました。このバザーは大震災の年まで、年中行事の一つとして盛大に催され、出品も年毎に増えて、利用者も大変喜ばれました。しかし一方それだけ準備に骨が折れまして、よくご近所の野村さんや牧内さんにその都度人手やお道具を拝借してご迷惑をかけたものでした。その中で忘れられないのは緋の毛氈と金屏風ですが、それも震災で灰燼と化してしまいました。そうして奨励会も連合婦人会の設立と共に解散して幾ばくかの積立金と私達会員は共々連合婦人会へ編入されました。(昭和一七.一二.一〇日)新年会の思い出渡辺絹子新年会の楽しいお集まりも、年毎に皆様69横浜連合婦人会回顧録


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