001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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らっしゃった時ですから、大賛成で新聞にご紹介下さいました。また市会議員の坂上さんにお願いして、公園の上に建て腐れになっていた市役所の建物を無料で貸していただくこととなり、その上幾本かの水道栓も使い放題という有難い恩典で一切の費用が除けることになりました。その上会員も百人ほど集まりましたので、私達も一生懸命にお手伝いをして、収支百円近い利益が残りましたので始めてホッと致しました。が、最初からこの成行きを大変心配して下さった三宅さんが、この成功を喜んで下さいまして、日清樓へ野村さん、二宮さん、髙木さん、私などをお招きの上ご馳走をして下さったことも今は故人を忍ぶ昔となりました。話は横道に入りますが、ここでもう一つ三宅さんについての思い出を書かせて頂きたいと思います。それは確か昭和四年の三月だと記憶しますが、当時良人が肺炎を患いまして病後を養っていました。日当りのよい縁側で新聞を読むくらいになっていました。ちょうどその時に三宅さんが衆議院議員に立候補されて明日が投票日の前日のことです。良人はぜひ明日は投票に行くと申しますが、私の宅から桐畑小学校の投票所までは相当の道程がありますし、病後無理をしては取り返しのつかぬことです。しかし一旦言い出したからには、到底思い止まらぬ日頃の気性を知っておりますので、当日は用意をして、車夫を二人頼み、蹴込みに湯たんぽを置いて温め、また投票所で待つ間の腰掛けに湯殿用の腰掛けに子供の学校で使う座布団を縛りつけて持たせてやりました。帰って来るまではなかなかの心配でしたが、折よく投票所は混んでいなかったので案外早くそして無事に帰宅してくれましたので、始めて安堵しました。それ横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる68


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