001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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会事業が当市に起り、婦人矯風会は横浜婦人ホームを開始するに及び、男子の集会所は所々に設置を思い立ち、当時本団体の首領に当たれたる故渡辺玉子夫人が進んで地所を提供されるに及んで団体委員の奮起となり、市内は言うに及ばず、本県一円より、各市の同情者をも動かして建築費の募金に奔走し、ついに紅葉坂にそびえ立つ横浜連合婦人会館が日ならずして、わが国諸市の同種類の建築物の妹分としてお目見えするに至ったのである。なお会長兼館長には申すまでもなく全会一致の推選により声望高き玉子刀自が就任されたのであった。爾来市内の婦人教化に、慰安に、また同会館が使用されて近年に及んだのであるが、社会情勢の改まるにしたがい、統制の必要上玉子会長の発議により、ついに本会並びに会館は市に寄付せらるることとなり、関係諸団体もことごとく県市主催の会合に参加することによって、応分の奉仕をなすこととなった。しかのみならず今回大日本婦人会が成立するに及び、わが県市にもその支部が結成さるるに至ったので、わが関係諸団体の大部分は直接に、その他は蔭にあってこれに参加し、いよいよ国家に忠誠を尽くすこととなったのである。かくして過去二十年来、新生横浜市の育成に及ばずながらも貢献を期して力の及ぶ限りの奉仕を志し来たったわれら同志の本願はここに予期以上の好機を恵まれ無上の光栄を感ずるものである。(昭和一七.一一.二〇日)史に寄す石川ふさ一、大地震に廃墟となれる金港を横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる64


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