001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


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体において売価との差額は各自団体の事業費として使用せしむることとしたり。ちなみに原価は八厘なりしと記憶せるも拠るべき記録を発見するに至らず。かくしていよいよ日の丸小国旗の頒布を開始するや予期以上順調に進展し、全国各地にわたり、また海外においては支那、南洋よりハワイ、北米、南米に及び、さらに遠く欧州に入りその地域の広汎なることとその取扱者の多数なりしことまことに驚くべきものあり。ために頒布成績総決算報告書作成にあたり、各方面の報告書収集には前後に二か年の歳月を要したり。同会の頒布利益金処分については、慎重審議の上、当時いまだ横浜市に図書館の設備なきを遺憾とし、該設備費として金三千円を会長渡辺玉子夫人の手により、時の横浜市長安藤謙介氏に贈り、残額は横浜孤児院、横浜婦人矯風会、横浜貿易新報社社会部、横浜基督教女子青年会に各五百円計二千円を寄付し、なお残余の一千五百円を横浜家庭製作品奨励会の事業資金にあて、同会事務所を横浜基督教女子青年会内の一室に置くこととせり。同青年会は当時本町六丁目、横浜商業会議所跡を借り受け会館となしたり。横浜家庭製作品奨励会は、ここにおいて新発足の機運到来し、いよいよ本格的事業に乗り出すに至れり。すなわち各家庭と緊密なる連絡のもとに着々事業を推進し、業蹟甚だ挙がりたり。なかんずく官公吏の家庭において熱心なる協力を得、原料ならびに製品の持ち運びをなす主人多くして所期の目的を充分達し得たるの観あり。同会はこれに力を得て、更に家庭の絞染講習等も累次開催し、事業多忙となり、かつ事務所狭墜を告ぐるに至りしかば、横浜毎朝新報社の好意により、同社の住吉町販売所を借り入れてここに事務所を移して、よりいよいよ発展の道程に入りしが、はからずも関東大震火災の突発するに遭い、横浜連合婦人会館史100年のバトンを受けとる16


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