001【表紙~本冊】横浜連合婦人会館史 100年のバトンを受けとる

「横浜連合婦人会館史」100年のバトンを受け取る(公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会)


>> P.17

同事務所の一切を灰塵に帰せしめたりしが、当日奇蹟的にも同会の預金五百円を渡辺銀行に預け入れ、該通帳を手にして同行を出でんとする瞬間に惨禍は突如襲来せり。しかれども預金はために確保せられ、同会唯一の資産として残るに至れり。横浜家庭製作品奨励会は、かくして大震火災と運命をともにして再起することあたわざりしが、残金五百円は横浜連合婦人会に寄付せられ、同会活動の資金として貴重なる役割を果たすこととなれり。因縁また浅からざるものあり。なお最後に同奨励会の思い出として銘記すべきは、同会主催のバザーにして浜名物の一となり、会場たりし開港記念横浜会館竣工第一年のごときは、満員のため数次入場中止をなすの止むなきに至りたり。当日のバザーには階上の一室に家庭婦人の手になる芸術品のみを飾りしが、なかには吉田博画伯夫人の油絵並びに水彩画のごとき、また後藤千代女史の七宝大花瓶等異彩を放てるほか、各種団体、各女学校その他特別出品の申込み殺到し、一方また余興場においては会員関係の舞踊、かくし芸の持寄り等に盛況を極めたり。このバザー行事は連合婦人会時代に入りても依然継承開催せられ、同会館年中行事の重要部面を形成するに至れり。以上、横浜家庭製作品奨励会につきその一班を叙するにあたり、当時その中心となり華々しく活動せられたる方々にして物故せられたる方々の芳名を記しその冥福を祈ること切なる次第なり。17横浜家庭製作品奨励会


<< | < | > | >>