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人との関わり合いで救われた経験から 福祉を志し「生活支援コーディネーター」に
人との関わり合いで救われた経験から福祉を志し
「生活支援コーディネーター」に
社会福祉法人 横浜市社会福祉協議会 荏田地域ケアプラザ
生活支援コーディネーター
吉田 由香さんYuka Yoshida
- わたしの強み
- 探究心、人を巻き込む力、人からの意見を客観的に受け取れるところ
- このしごとに必要な力は?
- コミュニケーション能力、共感力、巻き込み力
- 年齢
- 35歳
- 家族
- 夫
- 所属
- 社会福祉法人 横浜市社会福祉協議会 荏田地域ケアプラザ
不登校の経験がきっかけで福祉の道へ
福祉の世界を志したのは、高校1年生のときに不登校になったことがきっかけです。
当時、人からの評価の目や、自身の孤立感に悩み、将来のことが見えなくなっていました。そんなときたまたま、母の職場である障害者の自立生活支援センターに行く機会があり、自由で楽しそうな彼らの様子に衝撃を受けました。それまで私は、障害者は“守られるべき存在”との認識しかなかったのですが、そこには本当に “普通の” 生活があったんです。彼らは “かわいそうな人” ではなくて、みんなキラキラしていて。私は狭い世界で生きてきたのだと気づかされました。
思い返せば、それまでにも、人との関わり合いの中で救われたことがたくさんありました。たとえば小学校1年生のとき。学童の時間に迷子になって泣いていたら、高校生のお姉さんが声をかけてくれ、自転車で家まで送ってくれたことがあります。バスを降り損ねて終点まで行ってしまったときは、私のために運転手さんがバスを折り返して送ってくれたこともありました。
困っているときに助けてくれる人の存在が、どれだけありがたかったか。不登校だったときは、行くあてもなくたどりついたマクドナルドで、同じく時間を潰しているホームレスの方と話すようになり、悩みを聞いてもらったり、その人の境遇を聞かせてもらったり。ホームレスの人は怖いという固定観念が、自分の中で覆った瞬間でした。誰にも話せず、悶々としていた私の話を、ただただ真直ぐ聞いてもらえたことが、私にとっては大きく、その時に感じたあたたかさや楽しさの記憶が、今の私の福祉への思いの素地になっているのかなと思います。
不登校から脱却したのは、大学で福祉の勉強をしたいという思いが募ったからです。自分なりに福祉の勉強をする中で、自身の不登校の経験も、この世界ではきっと活きてくると感じていました。また、父の友人で、大学時代に脊椎を損傷し重度障害者となってしまった方がいるのですが、その方に進路について相談したときに「自分のやりたい道を進んでいけばよい」と言っていただけたことも後押しとなりました。
この道10年、今感じるやりがいは
大学で障害者福祉を研究テーマに福祉全般を勉強したあと、重い障害がある人たちの生活支援をする社会福祉法人キャマラードの「みどりの家」で3年間働きました。印象深い思い出を一つ挙げるなら、利用者さんたちとホテルバイキングへ行ったときのことです。私は、かつて母の職場で出会った障害がある方々が生き生きと暮らしていたように、重度の障害がある人たちにも、年相応な“人が当たり前に楽しんでいる”経験を諦めてほしくないという使命感を抱いていました。彼らはペースト食を食べるため、固形食が多いバイキングに行くことは叶いません。そこで、ホテルに許可を得てミキサーを持ち込み、ペースト状に再調理するという方法をとりました。そんなふうに、“当たり前の楽しみ” を共有できたことが私自身とても嬉しかったんですよね。人手不足のため肉体的にもハードで、意思疎通の難しさを感じて、辞めていく職員も多かったのですが、重度障害がある彼らと一緒でなければ感じ取れない、見れないものをたくさん学ばせてもらったと思っています。
その後、現職に転職しました。横浜市社会福祉協議会の理念である「誰もが安心して自分らしく暮らせる地域社会をみんなで作り出す」のポイントは、“みんなで” という部分です。ですから、地域の方々の気持ちを第一に大切にしたいと思っています。地域ケアプラザでの仕事は、横浜市社会福祉協議会におけるさまざまな職務の中でも、特に地域の皆さんの暮らしに密接しているポジションです。地域の皆さんから日頃の暮らしの中でどのような困りごとがあるのかを聞き、その解決策を一緒に模索しています。
「荏田お困りごとネットワーク」の立ち上げも、その一貫です。地域の企業や商店、医療機関を巻き込んで、みなさんが日頃の業務を通して気づいた福祉問題について情報交換をしています。この取り組みの背景にあるのは、進む一方である地域の高齢化です。もはや福祉という業態だけで高齢者に関するすべての課題をカバーするのは不可能ですから、これからは業態を超えてお互いに手を取り合い、地域全体で課題に向き合う必要があるとの思いからです。「荏田お困りごとネットワーク」の強みは、なんと言っても多様性あふれるメンバーが集まっていることです。 年齢も属性もばらばらの幅広い人材が集まり、意見交換をしているので、これまでにない新しい風が吹き込んできているのを感じて、私自身わくわくしています。
このように、決められたルーチンがある仕事ではありませんが、難しいと感じたことはありません。「仕事」という意識をあまりもっていないことが功を奏していると思います。というのも、私たちが関わるのはあくまで地域の皆さんの「生活」です。そこに対して「仕事」という認識で入っていくと、うまくいかないことが多いのです。大家族の中で育った私にとって、地域の皆さんと同じ目線に立って会話することは自然なことなので、天職だと感じています。
新人の頃は、人に頼られることにやりがいを感じていましたが、次第に、関わった取り組みや活動が、自分の手を離れたあとも継続されていくことや周囲の人に影響を与えることにやりがいを感じるようになったのが、この仕事を10年続けてきての変化です。かつて支援した方が、数年後に生き生きとした表情で活動されているのを見かけたときは、本当に嬉しい気持ちになります。
最近は新型コロナウィルスの影響がさまざまありますが、高齢者の方々もそれぞれに考えや事情があるため、とにかく対話を大切にして、相手の意志を尊重したうえで、可能な範囲で活動を継続しています。今後はコロナの状況の中で、困っているのに声を出せない人のことが、今よりもっと見えづらくなると思うので、そのような人が1人でも声を出すことのできる地域になって欲しいと思います。
仕事に、 趣味に、全力投入!
仕事がとにかく楽しくて大好きなので、いつも仕事には全力投球です。まさに私の生きがいですね。と言っても、人生=仕事だけということではなく、趣味である「バンドの追っかけ」にも全力投球しているので、うまくバランスがとれていると思います。仕事と趣味の時間を切り分けるのではなく、それぞれの延長線上にあるイメージです。たとえば他県までライブを見に行くとき、町歩きでその地域の自治体の掲示板を見て、「こういう取り組みをしているんだなあ」と参考にしたり、サロンをやっていれば飛び込み参加したりすることもあります。その土地ならではの取り組みが見えて、とても興味深いです。また、福祉以外のことにもアンテナを高くして幅広く興味・関心をもち、わからないことをわからないままにしておかないようにしています。そうした経験が、地域の人と接するときに役に立つからです。
実は夫も同業かつ同じ趣味をもっているので、なおさら公私の境界線はあいまいかもしれません。逆に疲れないの?と聞かれることもありますが、私たちにとってはすごく居心地のよいかたちなんですよね。「こうあるべき」という固定観念がないので、そのときそのときで話し合って、お互いにとってベストな関係を築くことができていると思います。