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成功も挫折も、経験はすべて糧になる。趣味をしごとに成長させた園芸家

成功も挫折も、経験はすべて糧になる。 趣味をしごとに成長させた園芸家

園芸家 国吉純さんJun Kuniyoshi
女性キャリアモデル国吉さん
わたしの強み
自分で決めたことは、最後までやり通す精神力の強さと笑顔を絶やさないこと
このしごとに必要な力は?
コミュニケーション力、継続力、柔軟性
年齢
55歳
家族
一人暮らし
(株)ジュリエッタ・ガーデン

大手企業の秘書から結婚、出産、専業主婦に。

「男女雇用機会均等法」が施行された年に大学を卒業し、精密機器メーカーの開発部に就職しました。そのころ、女性が社会に出て長く働くことは、今ほど当たり前ではなく、両親を含めて周りの人はみんな、就職は腰掛け、2~3年働いたら結婚しなさいという風潮でした。大学時代、本当は福祉のしごとに興味があったんです。でも、周囲の反対もあって、諦めてしまいました。
入社後は、開発部門のセンター長の秘書として働きました。でも、3年たっても「福祉に関わりたい」という思いを捨てきれない。結局、退職して母校でもある上智大学福祉専門学校の2年間の夜間コースを受験し、児童指導員科へ入学しました。昼間はベビーシッターの会社でアルバイトをしていたのですが、社長は女性起業家で、いろいろな刺激を受けましたね。
専門学校に在学中だった26歳の時、結婚が決まり第一子を妊娠しました。ちょうど福祉の制度の様々な変革が行われる最中で、卒業しても実地経験がないと資格取得の要件が満たせないため、資格取得は諦めることとなりました。

30歳で園芸に目覚める。きっかけは家にあったパンジーの種

女性キャリアモデル国吉さん写真

園芸は独学でスタート

子どもが5ヵ月のころに、諸事情により夫と別居をし、1人で子どもを育てることになりました。子どもを会社の近くの保育園に預け、企業にてフルタイムで働いて3年たったころ、夫とやりなおすことになり、30歳でふたたび専業主婦になりました。
園芸に目覚めたのは、そのころです。それまでフルタイムで働いて子育てもしていたので、専業主婦になってエネルギーが余っていたんですね。
たまたまノベルティでもらったパンジーの種をプランターに撒いてみたら、芽が出て、花が咲いて、それがすごく面白かった。園芸のことをもっと知りたくて、花屋さんに苗を買いに行ったのですが、当時は園芸の知識を持っている店員さんがあまりいなくて。それで図書館で借りて本を読んだり、直接生産者のところへ足を運んだりして、自力で知識を増やしていきました。
見たことのない植物があったら、まず買って、育てて、わからないことがあったら聞いて、それを繰り返しながら、ほぼ独学で知識を習得していきました。

主婦から講師へ。ウリは「ベランダガーデニング」

園芸を本格的に学ぶようになったのは、子どもが小学校に上がった33歳ころからです。まず、土や植物の基礎的なことを教えてくれるガーデニング講座に1年間、月2回ペースで通いました。それまで、ほぼ自己流でやってきていたので、答合わせをしていくような気持ちでしたね。
講座修了後、同じ講座を受講していたメンバーと自宅の前で鉢植えを売ってみたり、寄せ植えの展示会を月に一度やってみたり。最初は、知り合いに声をかけてこぢんまりと開催していたのですが、ちょうど園芸ブームが到来。その波に乗って、だんだん売れてきて、庭を造ってほしいという依頼を受けるまでになりました。
園芸が趣味からしごととして回り始めると、自分で仕入れ先を開拓したり、輸入物の鉢を買い付けたりと、利益を出すことを考え始めました。
私が注目したのは「ベランダガーデニング」です。都市部で暮らす人は、園芸に関心があってもベランダなどの狭いスペースしかないという人が多い。でも、やり方次第で、狭いスペースでも園芸を楽しむことができるのが「ベランダガーデニング」なんです。
すると、雑誌から「ベランダガーデニング」の連載の依頼が来たり、園芸講師として声がかかったりするようになりました。もともと大学では教育学を学んでいたこともあり、幾つか声をかけていただいた園芸講師の仕事がとてもやりがいを感じるようになりました。また数年間月2回、長時間の園芸講座の授業をこなすという経験をさせていただいたおかげで、講師としての基礎が培われました。

店舗はもたず、ソフトを売る。園芸療法との出会い

女性キャリアモデル国吉さん写真

過去の経験は、必ず今に活きてくる

講師デビューも果たして「園芸家」と呼ばれるようになったころ、園芸療法と出会いました。月刊『HERB』で紹介をされていたのを見て関心がわき、月2回土曜日の講座に迷わず参加しました。園芸療法というのは、植物や野菜を育て世話することを通じて、心と体の健康を回復させるものです。若いころからずっと、福祉に関心をもっていたので、私のアンテナにひっかかったのでしょう。
園芸療法の考え方に着想を得て、健康増進の目的で園芸ボランティア「みらい」を立ち上げました。「みらい」は今も続いていて、地域の人たちの新しい交流の場、友達作りの場になっています。
紹介でだんだんしごとが増えていき、43歳のころ、個人HPを作りました。まだ個人サイトを持つことが一般的でなかった早い時期に自分で作ることができたのは、若いころの会社務めでパソコンに慣れ親しんでいたから。
殺虫剤や園芸用品で有名なフマキラー(株)からしごとの依頼が来たのは、HPがきっかけです。専属アドバイザーとして年間契約を結ぶことができ、フマキラーの園芸用品「カダン」をプロモーションするときの花壇の制作や、商品を使った園芸講座などをさせていただきました。
こうして振り返ってみると、福祉のしごとの挫折も会社勤めも、無駄なことは一つもないことに気づきます。何かやってみたいと少しでも思ったことは、とりあえずやってみることですね。グチグチ悩んでもしょうがないし、自分で決めたことなら失敗しても後悔はありません。
企業との契約が増えたことを機に、働いて貯めていた300万円の資金を元手にして2003年有限会社を設立しました。私は、お店や庭を持つのではなく、講師や企業のアドバイザー、造園の設計や執筆などの「ソフト」を売ると決めました。お店を持ってしまうとフットワークがにぶくなって動きにくくなるし、ロスも出ます。園芸家になるのに、広い庭やお店は必須ではありません。

個人事業主から有限会社へ。くらしに応じて働き方をシフト

有限会社設立後、4年たったころに離婚することとなり、私生活もしごとも、大きな転機を迎えました。
有限会社化すると、しごとの依頼の幅が広がりました。経験がないしごとの依頼も多くて不安でしたが、私ひとりでも生きていかなければならない。まさに背水の陣で、いただいた話はとにかく断らずに、すべてやって実績にしてきました。今はその経験のすべてが糧になっていると感じます。
離婚した時、子どもは高校生になっていたので、子どもが幼かった時には受けられなかった出張や泊りがけのしごとも引き受けられるようになりました。子どもの成長とともにしごとの時間も増え、今は一人になったので、ハイシーズンには毎週のように出張に出かける日々です。ライフステージに応じて、しごとの量も内容も変えながらやってきました。

50代で乳がんに罹患。治療としごとを両立

女性キャリアモデル国吉さん写真

乳がん闘病中のころ

執筆、講師、講演、造園事業などしごとの幅が広がり、休みがほとんどないような日々を過ごしていた51歳のころ、左胸にしこりを発見しました。従妹二人も乳がんに罹患して治療を受けていたので、「もしかして」と、急いで病院に行きました。すると、悪性の腫瘍であり、これから化学治療を行って、その後摘出手術を行わなければいけないと知らされました。
私は自営業なので、働かないと収入がなくなってしまいます。医師に治療スケジュールを確認し、来年の春にしごと復帰することを目標にして闘病生活を開始しました。
乳がん治療中は事情を話してしごとをお休みさせてもらったり、代行を立てたり、時には治療の合間に会議を行ってもらったりと、ずいぶん周囲に支えられました。契約を切らずに復帰を待ってくれた企業もありました。闘病中は孤独になりがちですが、ほんの少しでも会議に出られたりすると社会とのつながりを感じて、それが大きな支えになりましたね。
乳がんを告知されて約1年後には乳房再建手術を受け、しごとに復帰しました。現在はホルモン治療の通院をしながら、しごとを続けています。

園芸×福祉の可能性を拓く

女性キャリアモデル国吉さん写真

心機一転。会社を株式会社化

有限会社化して15年目の今年、有限会社から株式会社に移行することに決めました。これまで、あまりしてこなかった経営者としての勉強をして、経営基盤をしっかりさせることが目標です。
これからは、園芸療法の事業を強化していきたいですね。たとえば、園芸に特化したデイサービス。土に触れると気持ちが落ち着くという人は多いです。植物を植えたり水をやったりすると自然と体を動かすことにつながります。土や植物に触れられて、栽培した植物を愛でたり、作った野菜を調理したりできる場所を作りたいと思います。アイディアはたくさんあるんですよ。
そのためには、まず場所が必要なので、場所を持っている機関にお声をかけたり、紹介してもらってお話に伺ったりしています。お年寄りにとどまらず、学童の放課後サービスとか障がい者の方も集える場所としてもサービスができたらいいなと思います。人の役に立ちたい、社会に貢献したいという思いが私のモチベーションです。

国吉さんからのメッセージ

「継続は力」です。やめてしまったら、それはその瞬間から過去のものになってしまいます。私は、病気になっても、離婚してもしごとを手放すことはありませんでした。細々でもいいから続けていれば、思う存分しごとができるようになったとき、必ずチャンスが巡ってきます。
私にとっては、乳がんに罹患したことも「レモンプロジェクト」という、乳がん検診を啓発する活動の糧になっています。実は、経営者の人も、思っていた以上に病気の経験がある方が多く、「実は私もがんだった」と打ち明けてくれるようになりました。病気をしたらペースを落とす、それでもしごとを手放さずにいたことで、かえって信頼が深くなってしごとを続けていくことができています。一度始めたことは手放さずに、細々でも続けていくこと。これが15年しごとを続けてこられた秘訣だと思っています。(2017年11月インタビュー)
園芸家
国吉 純さん

Life & Career History

年表_国吉様