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傷を負ってこそ、つかめるものがある。 マタハラ防止団体設立から2年で法改正を実現した「社会の変革屋さん」
傷を負ってこそ、つかめるものがある。
マタハラ防止団体設立から2年で法改正を実現した「社会の変革屋さん」
株式会社natural rights 代表取締役、NPO法人マタハラNet創設者
小酒部 さやかさんSayaka Osakabe
- わたしの強み
- 「嫌われる勇気」をもっていること
- このしごとに必要な力は?
- 共感力、巻き込み力、発信力
- 年齢
- 40歳
- 家族
- 夫、子ども一人
- 株式会社natural rights
28歳で激務の大手広告代理店に入社。「くるみん」認定企業に再就職
川崎市高津区で生まれ育って、高校は横浜市です。成績順にクラス編成される、東大に何十人も入る進学校だったのですが、私は将来の方向性を決めきれず、自分の偏差値に合わせて大学を選び、進学しました。
大学生活は、アルバイトや遊びに明け暮れていましたね。大学入学後ももやもやした気持ちを抱えていて、就職活動を控えた大学3年生のとき、やっぱり好きなことをやりたい、絵を描くのが好きだし、将来は大手広告代理店で広告を作りたい! と美大に入りなおすことを決意し、退学しました。
美大受験専門の予備校でデッサンから猛勉強して、多摩美術大学に入学、卒業時には28歳になっていましたが、大手広告代理店にクリエイティブ職で入社することができ、夢がかなってうれしかったです。
ところが、入社してみると、すさまじい長時間労働の職場でした。土日もしごとをして、毎日夜中にタクシーで家に帰る日々。3年がんばりましたが、結局、働き続けることができませんでした。
今度は、しごととプライベートを両立できる会社に入ろうと思って、34歳のとき「くるみん」(※1)を取得している会社に契約社員として入社しました。雑誌編集の業務に携わったのですが、そこで結婚、二度の妊娠、二度の流産、そしてマタハラを経験したのです。
※1 厚生労働省が発行する子育てサポート企業の認定マークのこと。
職場でマタハラ被害に。二度の流産のあと会社と戦うことを決意
マタハラとは、マタニティ・ハラスメントの略で、働く女性が妊娠・出産・育児をきっかけに職場で精神的・肉体的な嫌がらせを受けたり、妊娠・出産・育児などを理由とした解雇や雇い止め、自主退職の強要で不利益を被ったりするなどの不当な扱いのことです。
私が、マタハラにあって「NPO法人マタハラNet」という任意団体を立ち上げるまでの経緯は、著書「マタハラ問題」(小酒部さやか著、筑摩書房、2016年)に詳しく記しています。
一度目に妊娠した時は、ちょうど雑誌の納期の時期で、妊娠していると言い出せず、自分の体よりしごとを優先した結果、流産してしまいました。
そして半年後に、二度目の妊娠。今度は上司に報告し、切迫流産の危険があったために、医師の診断のもとに一週間休みを取ると、上司が家まで来て退職を強要したのです。契約社員だった私は、更新の時期が迫っていて、「働ける」ということをアピールするために、しごとに復帰せざるを得ず、復帰一週間後に、二度目の流産をしてしまいました。
さすがに自分を強く責めました。それでもしごとを続けたくて復職したのですが、他のプロジェクトに回され、上司や人事部から「おまえが流産するから悪い」「契約社員に会社が産休・育休を許すとは限らない」「しごとをしたいのなら妊娠は諦めろ」などの心無い言葉を投げつけられました。マネジメント層からの退職勧告、まったく機能しない人事部、心も体も限界に来ていた時に「日本労働弁護団のホットライン」でつながった弁護士に相談、かなり悪質なケースだという助言を受け、私は退職して労働審判(※2)を起こすことを決意しました。
※2 2006年に開始した法制度。労働審判官(裁判官)一人と労働関係に関する専門的な知識と経験を有する労働審判員二名で組織された労働審判委員会が個別労働紛争を原則として3回以内の期日で審理し、適宜調停を試み、調停による解決に至らない場合は、事案の実情に即した柔軟な解決を図るための労働審判を行う、紛争解決の手続きのこと。(「マタハラ問題」より)
暗闇を進むような労働審判。仲間と出会ってマタハラNetを立ち上げへ
労働審判を起こす前後は、今思い出してもとてもつらい時期でした。心身ともにボロボロで、やり場のない怒りを抱えながらも本当に労働審判で解決するのか、自分の言い分が正しいかどうかも分からない。会社からは労働審判の場で「金目当てでやっているんだろ」などとセカンドハラスメントを受ける。ゴールが見えず、暗闇を進んでいるようでした。
そんな苦しい毎日のなか、同じ境遇の人はどうしているんだろう、話がしたいと思いました。ちょうど、マタハラという言葉が社会的に認知されはじめた時期で、労働審判の当初から取材をしていてくれた記者さんが、もう二人、マタハラ被害者がいると教えてくれました。
それで彼女たちに連絡を取ってもらい、弁護士さんも同席して会うことになりました。一人は育休切りで労働審判をされている方、もう一人は育休で復帰後、時短勤務を取らせてもらえなくて裁判を起こしている方。
同じ境遇にある仲間と会って、はじめて被害者同士、悩みや苦しみを分かち合うことができて、気持ちが少し楽になりましたね。自分一人じゃない、それが大きな力になりました。
情報を共有できたのもよかったです。「次はきっと会社の人にこう言われるよ」と教えてもらったら、本当に同じことを言われて。今まで道なき道を行くような感じだったのが、道しるべができたように感じました。
労働審判は、ほぼ私の要求が通るかたちで、解決に至りました。だけど、マタハラを忘れることも、なかったことにもできなかった。この怒りのエネルギーをなんとか正の方向に向けたい、その渾身の思いで、労働審判中に出会った二人と私の3人で立ち上げたのが、任意団体マタハラNetです。2014年、37歳でした。
覚悟の顔出し名前出しでマタハラNetの代表に。バッシングに泣くことも
団体の代表者は、「顔出し名前出しもやむを得ない」と思っていた私が引き受けました。正直、怖かったです。絶対バッシングがあると思っていましたから。でもメディアに出るのに、代表者の顔にモザイクがかかっていたら説得力がない。反感を買うのは覚悟の上でした。
まず、多くの女性がマタハラの被害にあっているはずだから、何がマタハラなのかということを共有するために、被害者の体験をブログにアップすることにしました。ブログは、自分の気持ちを吐き出す場でもありました。
当時、マタハラを前面に出したブログやサイトなんてありませんでしたから、ブログを開設したら、本当にすぐ連絡が来ました。やっぱり、同じように苦しんでいる女性は大勢いたんです。
立ち上げ当初は仲間を増やしたくて、ブログを通じて連絡が取れる人には、一人ひとり会いに行きました。きびしいバッシングも多くて、陰で泣くこともありました。交通費や実費も全部持ち出し。何一ついいことなんて無かった。だけど、ブログには次々に連絡が来て、共感してくれる人がいる、応援してくれる人がいる、それが唯一の支えでしたね。
「マタハラ」が新語・流行語大賞のトップ10になるまで
マタハラNetは立ち上げから一年もたたないうちに広く知られるようになり、その年の冬にはマタハラの言葉がユーキャン新語・流行語大賞トップ10に入りました。
団体が短期間で知られるようになったのは、時代の流れにちょうど合っていたこと、それからSNSをうまく活用できたことが大きな理由だと思います。
2013年に連合が働く女性の4人に一人がマタハラに合っているという結果を公表し、メディアがマタハラという言葉を使いだしていました。言葉、ショートワードがあるというのはすごく大事なことです。バラバラだった被害者がつながって、問題が「見える化」するんですね。
私自身、二度目の流産の時に、このマタハラという言葉を夫が電子記事で見つけてくれて、まさに私のことだ、自分が受けたのはマタハラだったんだ、とはじめて自分がされたことを認識しました。
それから2014年に安倍内閣がウーマノミクスを掲げたことも、大きかったです。NHKのテレビ番組に出演したあと、まず、海外メディアが「日本政府は女性活躍を推進するって言ってるけど、マタハラ問題があるじゃないか」と取材にきました。それから、国内メディアからも一斉に取材を受けました。比較的短い時間でメディアに注目されるようになったことは、自分のやっていることは間違っていないという確信にもつながりましたね。
翌年3月にはアメリカ国務省から日本で初めて「国際勇気ある女性」賞を受賞しました。海外からの注目は非常に高かったです。
さらにもう一つ、2014年10月には最高裁まで裁判が続いた広島のマタハラ裁判もあります。広島市の病院で働く理学療法士の女性が妊娠をきっかけに降格させられたのは不当だとしていた裁判で、結果は女性側の勝訴となったのですが、女性はメディアに出たくなかった。そこで、判決が出た翌日にマタハラNetが記者会見の対応をしました。
力のない小さい団体が、まだ社会化されていない課題を表に出していくには、戦略を考えることが必要です。
当時、マタハラNetは少人数で、あれこれ活動することは難しかった。だから、より効果的に効率的に、強いインパクトを社会に与えられるように活動することを意識してやっていました。
「この時期にこういうイベントをやると注目度が高いですよ」と、メディア関係の方々や支援してくださる方々がアドバイスしてくれるので、タイミングを計りながら、きっちりそれをやりました。私が広告代理店で働いていた時の経験も役立っているかもしれません。
共感は最大の武器、SNSでサイレントマジョリティーに呼びかける
それからSNSのフル活用ですね。今はFacebook、Twitterなど個人が発信できるツールがたくさんある。これを活用しない手はありません。
私がそれを痛感したのはChang.orgという署名キャンペーンをした時。全然面識のない小島慶子さんや松尾貴史さんなどの著名人の方が、マタハラNetの署名キャンペーンをSNSでシェアしてくれたんです。著名な方の影響力で「いいね!」が爆発的に増えて、署名も1万2000人に達しました。
サイレントマジョリティーに呼びかけるんです。声には出さないけど、マタハラに怒っていて、防止できるように法改正すべきと思っている人たちはたくさんいる。いいね!いいね! で、どんどん拡大していきます。
そういう人たちの共感をかたちにして見せていく。地道に発信し続けていれば、共感してくれる人は必ずいるし、共感を呼べればすごい武器になるんです。
メインストリームに乗って政策提言、法改正に導く
マタハラNetを立ち上げた当初から、ただ声高に「反対」を叫ぶのではなく、実効性のあるところまでやると決めていました。そのためには、政府の有識者会議の委員のような、影響力、発言力のあるポジションまでいかなければなりません。だから、メインストリームに乗ると決めていました。
こうした方向性をもてたのは、認定NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さんやNPO法人ファザーリング・ジャパンの安藤哲也さんなどの社会起業家と呼ばれる方々にお会いできたことが、大きかったです。
ツテもなく、初対面だったのですが、社会的な課題を解決していくためのさまざまなノウハウを教えてもらいました。たとえば、政策提言のやり方もその一つです。
アドボカシー活動をして、2015年の育児介護休業法の改正で、非正規で働いている女性の育休取得要件を緩和するように求め、実際に通すことができました。また、2017年には男女雇用機会均等法で雇用主のマタハラ防止が義務づけられました。マタハラNetを立ち上げて2~3年、法律の改正、施行が行われました。
ミッションを実現するために、立場を超えて
2016年11月、NPO法人マタハラNetを離脱しました。4年間の不妊治療を経て妊娠して、組織運営が難しくなってしまったことが一つ。それから、法改正を実現させた後、これからは被害者と企業を結ぶ架け橋になりたいと思ったこともあります。
マタハラNetは、被害者の団体です。企業側からは、対立的な立場の人と目されて、「うちにマタハラはありません!」と扉を閉められてしまうことがありました。
私のミッションは、世の中からマタハラをなくすこと。現実を、着実に変えていきたいんです。だから、今までは被害者に寄り添ってきたけれど、今度は企業の側でマタハラを起こさない環境づくりのお手伝いがしたいと思いました。それで設立したのが、株式会社natural rightsです。
たとえば、小さな企業の場合、働いている女性が妊娠して、別の部署へ配置換えの希望があってもポストがなく、どう対処すればいいか分からず困っているケースがあります。だけど、同じような企業で、マタハラなんて起こさずに回しているところもある。成功事例を集めれば、企業にも従業員にも有益な情報を提供できると思って、「ずっと働ける会社」(花伝社、2016年)という本を出版しました。
ジャーナリストとして、企業の活動をどんどん取材して、企業に役に立つ情報を発信していきたいと思っています。企業をサポートするような制度作りにも関われたらいいですね。
それから私も含めて、雇用保険に入っていないフリーランスで働く女性や女性経営者も現在の法律では抜け落ちてしまっています。まだまだ問題は山積みですが、一歩一歩、着実に取り組んでいきたいです。
マルチに活動、多面的に働く「社会の変革屋さん」
私の根っこは「社会の変革屋さん」です。そして、発信者としていろいろなドアを持っていたい。起業して会社の代表をしているけれど、ジャーナリストのような活動をしていたり、研修講師をしていたり、絵本作家をしていたり。どれもこれもやりたいです。
マルチに活動して共感窓口をいくつももっていれば、人が入って来やすいでしょう? 「社会の変革屋さん」は、社会を変えていくために、いろんな人から共感してもらったり見てもらったりする必要がありますから。
いくつものドアを持っていて、このドアは無理だけど、このドアには共感できるというスタンスで、入ってきてくれる人を増やすというあり方が、私には合っていると思います。
副業、パラレルキャリアという働き方も最近は増えてきましたよね。私もそうありたいし、多面的でいたい。共感して「いいね!」を押してくれる人を一人でも増やすために、いろいろなところで共感してもらえるようにしておくのが一番お得かなと思っています。
小酒部さんからのメッセージ
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