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資金ゼロから「ひろばカフェ」を開いた社会起業家。 突き動かす想いには素直に
資金ゼロから「ひろばカフェ」を開いた社会起業家。
突き動かす想いには素直に
NPO法人こまちぷらす 代表 森祐美子さんMori Yumiko
- わたしの強み
- 巻き込み力
- このしごとに必要な力は?
- アンテナを張る力、なんとかなると思う力、
ネットワーク力 - 年齢
- 34歳
- 家族
- 夫、娘(小4)、息子(小2)
- ヨコハマ市民まち普請事業HP
- 戸塚の子育て情報サイト こまちぷらすHP
研究テーマは「まちづくり」。大学生の時、自治体の中期計画策定メンバーに
大学時代の私の研究テーマは、「まちづくり」。大学2年の時、新潟県魚沼市に稼働率100%の公共施設があると聞いて、そこを研究するために、足繁く魚沼市に通いました。Artagglo(アータグロ)という、アートによるまちづくりを標榜した学生団体を立ち上げて、魚沼市で一日限定カフェを作るという企画を実施したこともありました。テントを張って野宿したり、地元の方と地元の素材を使って料理やインテリアをつくったり、3年間で、東京から100人を魚沼市へ連れて行きました。都会の若者も地元のお年寄りも、立場関係なくいろんな人が交差する「カフェ」の魅力や力を発見したのは、この企画がきっかけです。
大学3年の時には、新潟県がその地域の中期計画をつくることになって、計画策定メンバーに選ばれました。県や町役場の職員、コンサルタント、商店街などいろいろな方々といっしょに、「この街をどういう街にしようか」と計画を考えるのですが、最初はみんなてんでばらばらだったのが、だんだん一つにまとまって、目に見える形になっていく。さまざまな立場の人が一つの事に関わることで化学反応のようなものが起きる、それがとてもおもしろくて、「まちづくり」をしごとにできたらいいなあと思い始めました。
「まちづくり」を追求したくて民間企業に入社!?
私の関心事である「公共文化施設の評価」をCSR活動として、その時すでに10年がかりで取り組んでいたのが、トヨタ自動車本社でした。本来であれば行政がやることを、企業が真剣に取り組んでいる。魚沼での経験をとおして、これからのまちづくりは行政だけがやるものではないと学んだけれど、企業ができることって何だろう。企業がまちづくりに関わるおもしろさと可能性を感じて、トヨタ自動車に入社しました。
入社した時、先輩にアドバイスされたのは「CSRに興味があるなら、まずは企業が0.1円の利益を生み出すことが、どれだけたいへんか知ったほうがいい」ということ。はっ!としました。それなら、いちばん動きのありそうな中国の営業がおもしろそうと希望を出して、2年間中国マーケットを担当しました。
起業の芽は孤独な子育てから生まれた
トヨタ自動車に在籍していた時、夫と結婚して、24歳で第一子を出産しました。それまで、私にとっての「地域」は寝に帰るところ。周囲との関わりなど全然無かったから、知り合いもだれもいなくて、毎日子どもと二人きり。子育てはとても孤独でした。
働いているときは、可能な限り最大の成果を早く確実に出すことが大事だったけれど、子育ては真逆です。私がいくら頑張っても子どもが早く育つわけではない。To Doリストを作って達成感を味わおうとしたけれど、何一つ予定通りに行かなかった。気持ちが追いつかなくて、鬱々として、どんどん不安定になっていきました。
そんな時、横浜市の保健師さんの家庭訪問があって、子育て支援拠点を作るための意見を述べるメンバーを公募するチラシをもってきてくださったんです。苦しい状況を抜け出すきっかけになるかもと思って応募したら、そこで出会った地域の人たちがとてもあたたかく迎えてくださって、すごく救われました。
子どもを皆さんに抱っこしてもらって、生の情報を教えてもらって、子育てを一人で背負わなくていいことを感じて、やっと育児と向き合えるようになった。子育てが楽しくなっていったんですね。その後も、いろいろな子育てサークルの活動に携わるようになって、しごとと同じくらい、大きな意味を感じるようになりました。続けて28歳で二人目を産んで、結果的に育休を4年取得して、会社に復帰しました。
復帰後は、海外調査の担当になって、朝5時に起きて子どもを預けて、東京の会社に9時に出社する生活。二人の子どもは同じ保育園に預けられなくて、時短勤務だったけれど、時間的な余裕なんて全然ありませんでした。
それに、しごともやり切った感がまったくなくて、消化不良の日が続いて。しごとをする時間を確保したくて、在宅勤務を申し入れ、帰宅後も夜10時から12時くらいまでしごとをするようになりました。
東日本大震災があったのは、そんな時です。東京のオフィスはビルの最上階だったので、ひどく揺れて、ほんとうに死ぬかと思いました。子どもたちとも翌日まで会えなくて、必死で横浜まで帰りました。
揺れてる最中「このまま死にたくない、やり残したことがある」と強く思いましたね。育休中いくら探しても得られなかった情報が、必要な人に届くような仕組みをつくりたい。孤独な子育てをしている女性が、ほっとできる居場所をつくりたい。いつかやりたいと考えていたけれど、人生は一度きりなんだ、「いつか」じゃダメなんだと本気で考えました。
それからほどなく、会社を辞めることを決意、会社に伝えて半年後に退職し、その翌日「こまちぷらす」を起業しました。30歳の時です。
育休中に築いたネットワーク、ママ友6人で起業
退職を会社に申し出てから起業するまでの半年間は、通勤電車のなかで事業計画を練ったり、フォーラムの起業相談を利用したりしながら、多くの人に事業計画を見てもらって、ブラッシュアップに努めました。育休中に、ネットワークを広げておけたのは大きかったですね。どこにどういうスキルをもった人がいるか、キーパーソンはだれか、わかっていましたから。
私が事業化したかったのは、「ひろばカフェ」。地域の親子が集う場の機能と飲食機能をあわせもつカフェの開業です。声をかけた5人のスタッフは全員乳幼児のママ、調理スタッフもいない、資金はゼロ。そういう状況で起業して、1カ月で「こまちカフェ」を開業できたのは、退職する直前に行った起業セミナーで知り合った人が、週に一度カフェのオーナーになってみないかと声をかけてくれたおかげです。
週1カフェで提供するのは、地元のパン屋さんから仕入れたパンとキッシュと自分たちで調理したスープだけ。こだわったのは、「見守りつき」カフェということ。お客様にゆっくりランチを食べてもらえるよう、見守りスタッフをつけることだけは、はずしませんでした。
「ひろばカフェ」事業でビジネスモデルをつくる
「ハコ」を提供してもらったおかげで、大きな投資はほぼゼロ、借金というリスクがなかったぶん、人や組織を育てること、サービス内容に力を入れることができました。ホームページ開設、戸塚区内の子育て情報冊子や地域こそだてカレンダー(近隣の子育てイベントデータベース)の作成など、広報や情報事業も開始しました。広報力アップと口コミ効果か、週1の開業でもほぼ欠かさず、お客様にいらしていただけました。
任意団体でのスタートでしたが、法人化するまでは個人事業主として開業届を出しました。理由は、ママのサークル活動ではなくビジネス、つまり、お金が回る仕組みにすることを目標にしていたから。届を出したのは、覚悟を決めるためでもありました。
「居場所」の事業というのは、行政がお金を出して回っているところが多いです。それは、もちろんいいのですが、行政からの補助がなくなってしまったら、場もなくなってしまう可能性がある。だから、私は自主財源で「居場所」の事業を続けていけるモデルをつくる必要があると思っていました。メニューの価格も事業が回るよう設定して、ほんの僅かですが初月から謝礼を出せるようにしました。
一人で起業する人もいらっしゃいますが、自分一人でできることは限られています。この事業の骨格を決めた時、ママ友のメンバーに「こんなことやろうと思ってるんだけど、この部分を手伝ってくれる? あなたのスキルのここが必要なの」と声をかけていきました。その一人ひとりの力があって、今の活動があります。
チャレンジショップ事業を通して整備
それから半年ほどで、定期的にランチ会を開催していた助産院さんから声がかかり、戸塚に移転しました。そこで週1でカフェをしていると、私たちの活動に共感して、調理師免許をもった人や料理の経験がある人が仲間に加わってくれるようになり、調理スタッフを少しずつ確保することができました。スタッフの子どもの保育など課題はありましたが、常設店舗開店に向けて基盤をつくっていったのが、この時期でしたね。
やっと常設店舗を運営していく環境が整ってきて、たくさんの物件をあたって、ようやく場所を確保したのですが、近隣の方の理解が得られずに、ダメになったことも。場を持つということの意味、地域の方の理解について大きな学びを得た機会でした。
でも、そんな時、助けてくれたのはお客様でした。Facebookやブログに私たちの現状と探している物件の条件を掲載したら、たくさんのお客様が、情報を寄せてくれました。
そのなかで複数の方が提案してくださったのが、区画整理地域でのチャレンジショップへの出店です。横浜市ととつか宿駅前商店会との連携で行われた事業で、仮店舗の空きスペースを利用して飲食店の誘致をしたいとのことでした。家賃は安い、駅から5分と好条件。ただし、約1年半の期限が来たら立ち退かなければならない。期間限定の条件に悩んだのですが、応募を決意し、面接等を経て、営業できることになりました。1年半の期間限定って、見方を変えれば、今後の事業を練る猶予を1年半もらったとも考えられますよね。
任意団体からNPO法人に
こうして、常設店舗を2013年4月にオープンして、同時期にNPO法人格を取得しました。常設店舗ができることで、いろいろな可能性を期待して、胸躍らせてスタートしたのですが、毎日オープンさせるため急速にスタッフを増やし、スタッフの子どもの保育問題やコミュニケーション不足からくる行き違いなど、課題がたくさん出てきました。
NPOの理念に共感して集まってくれた人たちではあるけれど、価値観もバックグラウンドも違う。組織の立て直しのために、一時、お店を閉めたこともあります。今、ふりかえってみると、組織として大切なのは何なのか、事業として運営していくために何が必要か、立ち止まって考える貴重な機会になったと思います。
常設店舗になって、多くのお客様に来てくださるようになったのですが、2014年10月までの期限付きです。私たちは子育て中でこれからお金がかかるし、次の店舗探しにあたって、どうしても借金をしたくなかった。それを実現する手段としていきついたのが、「ヨコハマ市民まち普請事業」というビジネスコンテストを活用することでした。このコンテストを勝ち抜けば、施設整備に必要な補助金をもらえて常設店舗を構えられる。コンテストは、10カ月以上の長期戦でしたが、「なぜ、ひろばカフェが必要なのか」「まち全体にどういう効果を及ぼすのか」、審査員に納得してもらえる説明ができるよう、何度も何度もプランを練り直しました。
このコンテストに参加して得たものは、たくさんあります。あの10カ月で、発想が変わりました。起業って、自分たちがやりたいものをつくるんじゃなくて、みんながほしい、やりたいっていうことを「一緒に作っていくもの」なんですね。そうすると、できたあともみなさんが関わり続けてくださって一緒に汗をかいていける。自分たちだけでがんばるというのじゃなくて、いかに、みなさんと一緒に事業を続けていけるかを考えるようになりました。
人が集まる「ワクワクスイッチ」
「ヨコハマ市民まち普請事業」でプランが採択され、壁や配管等のハード整備は補助金でできましたが、カフェを運営するにはそれでも資金が足りなくて、寄付金をも募ることにしました。
寄付金を募るのに、「共感してもらえるように仕掛けをつくれ」とは、よくいわれることです。もちろん、そのとおりなのですが、なかなか集まりませんでした。そんなとき、まずは自分たちがワクワクすることをやる、「ワクワクする楽しいことを一緒にしよう!」と呼びかけることが、人が集まってくるポイントだと教えてもらいました。これを私たちは「ワクワクスイッチ」と呼んで、今も事業の随所で大事にしています。
たとえば、その一つが、お客さんが書いた理想のカフェの絵を、一度見えなくしたうえで777分割して、3,000円の寄付が入ったら一つのマスが反転してだんだん絵が見えるようになる「777プロジェクト」。「マスが全部開いたら一つの絵になります。どんな絵が現れるか、みなさん一緒にやりましょう!」って声をかけています。寄付してくれた人の顔が見えるように、反転しているマスの絵をクリックしたらその人のブログに飛ぶという仕掛けも作ったんですよ。うちのスタッフのアイデアです。その発想力が、すばらしいでしょう?
「何のための活動か」原点を忘れず、活動を広げる
現在はこの4月から始まった新しいサービス、「ウェルカムベビープロジェクト」に法人として事務局を担っています。これは赤ちゃんが生まれた家族が申し込みをすると、無償で街からの出産祝いを受け取れるというもの。行政や、プレゼントを配送してもらう運輸会社、住民が関わって実現しました。目的は、子どもの誕生や子育てに関心を持ってくれる人を増やして、それを歓迎する文化を作ること。あえてまずは戸塚区限定としたのは、やっぱり「顔が見える関係から」ということを大事にしたかったからです。
これには莫大なお金がかかるのですが、それを考えると何もできなくなってしまいます。儲かる仕組みがあれば、とっくにたくさんの人がやっているでしょうし、当然儲かるような事業ではありません。でも、必要とされていることは、だれかがやらないといけないし、協力してくれる方も必ず出てくる。このプロジェクトもカフェも、取り組みが全国に広がっていってくれればいいなと思っています。
いろんな地域で真似してもらって、孤立しがちなお母さんたちの居場所ができたらうれしい。子育てに興味のない人たちも巻き込んで、子育てってみんなで支えるもの、一緒に考えていくものだよねという意識になってもらえるような仕掛けをこれからも作っていきたいですね。そうなると社会はまるで違ったものになると思うんです。
森さんからのメッセージ
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