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文系・理系を超えた幅広いフィールドで活躍する。 「まちづくり」の実践研究者
文系・理系を超えた幅広いフィールドで活躍する。
「まちづくり」の実践研究者
横浜市立大学 学術院国際総合科学群国際都市学系まちづくりコース 准教授
NPO法人ミニシティプラス 理事長 三輪 律江さんMiwa Norie
- 取得資格 特技
- 工学修士号、博士(工学)号
- わたしの強み
- ポジティブ
- このしごとに必要な力は?
- コミュニケーション能力、巻き込み力、創造力
- 年齢
- 47歳
- 家族
- 夫、娘
工業大学に進学、ガウディに触発され建築の道へ
数学と物理が大好きで、高校3年生のころは理系クラスに所属していました。大学に進学するときはバイオが流行っていた時代。生物学や医学、薬学を選択する友人が多く、建築学に進んだのは私一人でした。建築学を選んだ理由は、地元の名古屋で開催されていたアントニオ・ガウディの作品展を見て、触発されたこと。「ガウディ、すごい! 建築、おもしろい!」と。それから、姉も建築を学んでいたので、その影響も大きかったと思います。
名古屋工業大学の建築学科に入学してからは、男性ばかりのなか、コンペ(建築の設計競技)とか課題の提出とか忙しくて、よく大学に泊まっていました。実家から学校に通っていたのですが、家に帰るのはお風呂に入るときくらい。ほとんど大学とアルバイト先の往復でしたね。
当時の建築学科は女性が少なかったです。約150人中、女性は6人。だから、一つの建物の中に、トイレが一つしかなかった。でも、ちょうど長谷川逸子さんなど女性建築士の方々が、有名になってきていた時代でもありました。おしゃれもちゃんと楽しんでましたよ。建築を学んでいるから、デザイン的な部分を意識するんですね(笑)。
今は、建築学に進む女性も増えてきて、私の指導してきた学生も半数以上は女性です。
阪神淡路大震災の経験がターニングポイントに
名古屋工業大学で修士号を取得した後、24歳で、大阪にある(株)坂倉建築研究所という業界ではわりと老舗の建築設計事務所に就職して、4年ほど設計士として働きました。そこで、マンション群や公園のなかの博物館などを担当していたのですが、事務所で徹夜作業をしている時に阪神淡路大震災で被災したんです。その後、震災復興中学校などの担当をしたりして、私にとって大きなターニングポイントになりました。
震災で多くの建物が崩壊したのを見たとき、その建物のなかで暮らす人の暮らしとか、実際に人が建物をどう使いこなしていくのかということを強く考えるようになりました。
建築学では、設計だけでなくて、建物が及ぼす街への影響なども当然学びます。でも、業務としてはハードの整備が中心になるので、建築物のなかの人の営みやコミュニティーというところは、あまり意識してこなかった。震災にあって、それがはっきり芽生えてきたんです。それで、人と建築とまちの関係をもっと研究したいと、しごとを辞めて、東京工業大学建築学科の博士後期課程に進学しました。
私の研究テーマは「子どもの遊び空間の発生性に関する研究」でした。子どもは街のなかのどういうところで、どんな仲間と遊んでいるのかということを数量的に示して、都市を評価する物差しを作る。その物差しを用いて、子どもにとって住みやすい街とはどのようなものか、子どもたち自身が考えられるようになることが目的です。ベースは建築学なのですが、児童福祉、社会福祉、心理学とも関わっていて、学問分野はかなり広いので、現在「文系」に近い領域で研究をしています。
40歳で出産、夫も育短を取得
博士号を取得した後、1年ほど名古屋の実家に帰りました。知り合いの設計事務所の手伝いをしたり、ちょうど同じような状態だった友達とコンペに応募してみたり。その後、横浜国立大学でポストドクターの募集があり、応募して研究員として働くことになりました。それから、特任講師、助教授、准教授と肩書きや所属が変わりつつ、契約を更新するかたちで、約10年勤めました。
私が初めての子どもを出産したのは、横浜国大の地域実践教育研究センターで特任准教授としてしごとをしていた40歳のときです。3年任期の最終年と出産が重なってしまった。任期付の契約で、産休は取れても育休は取れない時期だったので、娘を出産後、有給休暇を全部使い、夫にも職場で初の育児短時間勤務を取ってもらって、任期を全うしました。
任期満了で横浜国大は辞めましたが、非常勤講師や市の委員会、シンクタンク(政策立案・政策提言)的な業務の依頼があってしごとは続けていたので、娘は保育園に入園できました。1年後に横浜市立大学の採用が決まり、自分の研究室をもちたいという希望もようやくかないました。
私のしごとは、9時から5時という定時が無いですし、実家も遠い。保育園のお迎えは、夫、ベビーシッターさん、近くに住んでいる甥や姪、友人などを巻き込んで対応しました。
会議やワークショップは土日に集中しがちなので、娘を連れて出ることもあります。学生は娘を連れて働いている私を見て、一人のロールモデルのように思ってくれているみたいですね。
それと、私は娘の周りに知り合いをたくさん作っておくことが大事、親としての責任だと思っているんです。これにはきちんとしたエビデンス(証拠・根拠)があって、第三者がよく関わっている子どものほうが、自己肯定感が高いという研究結果が出ているんですよ。
研究者は、改姓すると実績を示すうえで不利になるので、しごとでは旧姓を使っています。それについても、不思議に思いつつも娘なりに理解してくれているようです。
働き方をコントロールできるように自分自身を高める
自分の研究室をもって、指導している学生が内容を理解してくれたとき、弟子が育ってきたと感じるときは、すごくうれしい。学生は、自分の子どものようなものです。彼らの成長を見るのは楽しいし、それがこのしごとのやりがいでしょう。横浜市大に着任して6年目ですが、今後はもっと後続の育成に力を入れたいですね。
これからは、子どもの成長に合わせて、しごとと家庭生活のバランスのギアチェンジをうまく図っていこうと思います。私は、自分のしごとにおいて、ある程度社会的な立場を築いてから出産したので、「わがまま」が言えた。ギアチェンジしたいときにできる、自分のライフスタイルに合わせて、働き方をうまくコントロールできるようにするには、まず、自分自身を高めていくということも必要なのではないでしょうか。
三輪さんからのメッセージ
Life & Career History