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社会人入学で大学院へ。 学び直してしごとのステージを広げる
社会人入学で大学院へ。学び直してしごとのステージを広げる
YMCA健康福祉専門学校 子ども総合科 学科長 奥田 訓子さんOkuta Noriko
- 取得資格 特技
- 博士号(学術)
- わたしの強み
- 場面記憶力
- このしごとに必要な力は?
- 巻き込み力・共感力・創造力
- 年齢
- 45歳
- 家族
- 娘2人、別棟に両親
- HP
- http://www.yokohamaymca.ac.jp/health
事務職から講師に
私は、いわゆる就職氷河期世代です。バブル崩壊直後で、就活はかなりきびしかった。大学時代、横浜YMCAの予備校でチューターのアルバイトをしていて、新卒採用試験を受けて入職しました。
大学では国際関係を学んだのですが、横浜YMCAでは、まったく畑違いの水泳や体操を教える部署に配属されました。28歳で双子の女の子を産んで、職場復帰して2年目くらいに福祉専門学校の部署に事務職で異動になりました。
ある時、社会学の先生の授業がドタキャンになり、私が代わりに2コマだけ大学の卒業論文のテーマだった「死生観」を題材にして授業を行ったんです。そうしたら、学生にも上司にも評判が良くて、翌年度から正式に1講座受け持つことに。講師として教壇に立つうちに「もっと勉強しないと」と思うようになって、大学院受験を意識し始めました。
退職して大学院へ
社会人入試を受けて、大学院に入学したのは、34歳のときです。社会人の私が大学院に行くためには、学費のこと、しごとのこと、子どもたちのこと、いろいろ考えなければなりません。大学院入学を考え始めてから2年間、恩師に相談するなどしていたのですが、踏ん切りがつかずにいました。
そんな時、福祉専門学校で不適応を起こした学生がいて、その子を支援していくなかで、このしごとを続けていくなら心理学を本格的に学ばなければと、大学院入学を決意しました。
大学院は、心理学を社会人枠の入試で受けて、合格しました。最初は働きながら行くつもりだったのですが、いざ入学してみると、学部で心理学を学んでいない私は勉強することが多くて、両立は到底無理。清水の舞台から飛び降りる気持ちで、思い切って横浜YMCAを退職しました。退職の際、上司が「職制を変更して戻れるかもしれないから、修士を出たら連絡してくれ」と言ってくれたのは、ありがたかったです。
奨学金を糧に、子育てしながら博士号取得
大学院在学中は、退職金と取得した奨学金で学費と生活費をまかないました。しごとを辞めて大学院生の生活になると、午前中は授業が無いことが多くて、時間ができるんですね。それで、PTA活動に参加してみたら、子どもの友達の親や先生たちと仲良くなって。いままであまり縁がなかった世界とつながれました。
大学院の仲間には、会社員、看護師、鍼灸師など、社会人経験がある人がたくさんいましたね。今でも親しくしています。学部から上がってきた院生には、統計学を教えてもらったり、逆に現場のことを教えてあげたり、互いの弱みを補完しあうような関係でした。
最初は、大学院で、問題を抱えてしまった人に対応する臨床心理士の資格を取るつもりでしたが、指導教官に問題を抱えないように予防する健康心理学の領域が向いていると言われて、研究テーマを変更しました。修士号を取得後、「大学院を修了したら連絡して」と声をかけてくれた上司に応えて、専任講師として横浜YMCAに戻りました。でも、修士論文の中で十分にやり切れなかったことがあり、1年後、再び大学院に。修士の奨学金は申請をして全額免除になったので、それも学費にして、今度は働きながら4年間通い、福祉専門職のチーム間のコミュニケーションを研究し、博士号を取得しました。
大学院へ行って学んだこと
今、YMCA健康福祉専門学校の学科長をしています。大学院卒であれば、横浜YMCAの専任講師要件はすべて満たされます。
私は、社会人から大学院に行って良かったと思っています。研究では、社会人としての視点があることや、経験からテーマを出せるという強みがあります。
大学院に行ったことで、私自身、良い方向へ変わりました。実は私、負けん気が強くてトラブルメーカーだったんですよ。でも今は、交渉ができるようになって、敵対してやりあうっていうパーソナリティーが変わりました。それから、大学院に入る前は、しごとで母親としての自分を出すことがイヤでした。ところが、子育てしながら働き続けている大学の先生たちと接しているうちに、そういうところがほぐれてきたと感じます。自分に優しくなったのかな。
これまでのことを振り返ると、私って周りのアドバイスや流れに乗ってきたなと思います。研究テーマの変更、横浜YMCAに戻ったのもそうだし、奨学金が免除になったのも、「免除申請出しなさい」っていう先生の一言がきっかけ。他者評価に乗ってみたり、流れに任せてみたりすることもいいのではないかと思います。