「フォーラム通信」2023年夏秋号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2023年夏秋号の特集は、「悩みに効く探究心~タイパ世代から見えてくるもの~」。連載「まだ名前のない◯◯」。


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まだ名前の無い○○第9回「いる」ファースト世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」など、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前の無い○○」を、見つめていきます。春、職場のある新橋への通勤電車に乗りながら、「元に戻ってきた」と感じた。車内はマスクをした人が多いが、乗客の密度や雰囲気は「コロナ前」に近づいている。ふだん私は労働組合のスタッフとして働いている。ここ数年は、新型コロナウイルス感染症の労働環境への影響を注視してきた。あまりに唐突だった2020年2月末の臨時休校要請の際は、働く側も管理者も頭を悩ませた。その後、何度かの緊急事態宣言を経て、職場での感染対策、会議や集会の持ち方、休暇やテレワークの扱いなど、それまでの「当たり前」が次々と見直されていった。なかでも、テレワークとそれに伴うオンラインコミュニケーションは急速に広がった。実は、国は30年以上前からテレワークを推進してきた。それは都市部の通勤ラッシュの緩和やワーク・ライフ・バランス、少子化対策、地域活性化、環境問題などに幅広く対応する政策と謳われていたが、「テレワークに適した仕事がない」という身も蓋もない理由から、コロナ禍が始まるまで日本ではほとんど普及しなかった。コロナ禍を経てテレワーク実施率は急上昇した。とはいえ、東京を中心とする都市部と大企業で高く、地方や中小企業で低い。業種・職種ごとにも大きな開きがある(たとえば医療・介護や建設現場、配送や接客の仕事などはそもそもテレワークに向かない)。それでも、多くの職場で緊急避難的にテレワークのための環境整備と業務フローの見直しをせざるを得なかったために、それまで「テレワークなんて……」と思われていた職場でそして今、である。感染対策のみを目的にテレワークを続けてきた職場では、5月8日の「5類」移行をきっかけにコロナ前の全員出社体制に戻している。一「やればできる」と実証されてしまった。方で、当初はコロナ対応のテレワークであっても、いざ環境整備をしてみると様々な労働者のニーズや経営上のメリットがあることが分かり、テレワークを制度化する動きもある。2023年春の通勤電車の微妙な混み方には、職場ごとのそうした判断の違いや迷いがあらわれているように感じた。ところで皆さんは、職場で出社にこだわる勢力に、年齢・役職高めの男性が多いと思ったことはないだろうか。私は、ある。その勢力は、職場に常に「いる」ことを大切にしている。自身はほぼテレワークをせず、それがどういう働き方かあまり分かっていないのに、テレワークをする労働者を「半分休みのようなもの」「何をしているか分からない」「急な事態に対応できない」などと揶揄したりする。さすがにテレワークがメインのIT系企業にそのような管理職はいないだろうが、日本の労働環境に順化した男性はとにかく職場に「いる」ことにこだわる。そこには根深くジェンダー化された構造があると私は考えている。日本では男女の賃金格差が深刻だが、その要因たる、賃金の高い専門職や管理職が男性に偏っていること、非正規雇用が女性で占められていること、それぞれが「いる」場所の評価の不均衡と関係している。ジェンダー論で「片稼ぎ男性モデル」や「ケアレスマン・モデル」と呼ばれてきた、職場での賃労働と家での無償労働の性別役割分業は、日中に「いる」空間の分離、職と住の分離を前提としてきた。男性はいつも職場にいることで、逆に言えば女性のように様々なケアのために職場を離脱しないことで、上司である男性から評価され、出世してきた。しかし、テレワークは自明だったはずの空間的分離を崩してしまう。常に職場にいなくとも、仕事の環境とやり方を見直すことで職責を果たせるとなると、時間外まで会食や飲み会に費やしてきた男性たちの人生の意味が根本から揺らいでしまう。テレワークを半人前扱いしたい中高年男性の心理にはそうした不安が見え隠れする。……もちろんこれは日本の職場のある一面に過ぎない。対面と比べるとオンラインコミュニケーションは情報量が少なくなりがちで、効率が悪い上、信頼関係を構築するのに時間がかかる。ただ同時に、「いる」ファーストの職場は、この社会の行き詰まりを象徴してもいる。24時間選挙のことを考え、夜のクラブから夏祭りまであらゆる場に顔を出す政治家ばかりが当選するのも、令和になってなお1〜2週間の育児休業で男性の育休取得率の向上をアピールするのも、何を「する」のかより、どれだけ職場に「いる」かが優先されているためだ。私たちの日々の労働と社会の課題はパラレルである。●にしぐちそう文筆家・労働団体職員。1984年東京都生まれ。大学卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現職。著書に『なぜオフィスでラブなのか』(堀之内出版)【今回の担当は西口想さんです】すきやき鍋を買いました。あられ文様のついたごつい南部鉄器です。嬉しいけど、使いこなせるか少し不安。フォーラム通信2023夏秋号8


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