「フォーラム通信」2019年夏号

「横浜から男女共同参画社会の実現を考える」。公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が発行する広報誌です。2019年夏号の特集は、「私、の話」。新連載は「まだ名前の無い◯◯」、「地球で生きてる私たち」。


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まだ名前の無い○○第1回私が「移民」にこだわる理由世の中には、「まだ名前の無い」問題が、山のようにある。しかし、もともとそこにあった現象に、「DV」、「セクハラ」、「パワハラ」等、名前を付けたことによって、その問題の存在が明らかになり、解決へと歩み出したことは多い。この連載では、号替わりの筆者による「まだ名前のない○○」を、見つめていきます。私はいま「移民」という言葉にこだわっている。この国ではあまり使われてこなかった言葉だ。政府が意図的にその使用を避けてきた部分もあるし、あるいは「移民政策ではない」などの形で、ネガティブに言及してきたとも言える。公式見解はこうだ。これこれの人々は「外国人材」である。ただし「移民」ではない――。日本で暮らす多くの人々は、「移民」という言葉をどこか遠い外国にのみ実在するものとして捉えてきたような気がする。アメリカには移民が?たくさんいる。フランスには移民が?どうやらいるみたいだ。では日本にも移民が?…ほとんどいない?日本は欧米の「移民国家」とは異なり、極めて同質性の高い「単一民族国家」なのでは?2018年末、日本で暮らす外国人の数は270万人を突破した。そのうち永住資格を持つ人々は109万人で全体の4割を超える。私はかつてこの事実に驚いた。知らなかったからだ。だからこそこの「現実」にこだわることにした。そして「移民」という「言葉」にこだわり、「日本には移民がいる」と発話することにこだわることにした。実のところ「移民」という言葉にはただ一つの正しい定義があるわけではない。別の国に生活の拠点を移して3ヶ月以上滞在する外国人と広く捉える定義もあれば、永住資格を持っている外国人と狭く捉える定義もある。重要なことは、どの定義を選ぶのであれ、日本には移民がいる」と発話することが真実であるということだ。この原稿に取り掛かっていたちょうどそのとき、外国人の子どもたちの「不就学」問題に関する新たなニュースが飛び込んできた。NHKと研究者の推計によれば、日本で暮らす義務教育年齢相当(6歳から14歳まで)の外国籍の子どもたち全体の7%が学校に行けていない可能性がある。その数12万人中8,400人――。義務教育年齢相当、と書いたが実は日本では外国籍の子どもが義務教育の対象から除外されている。住民登録をしていれば就学案内は送られるが、学校に来なかったとしても政府の建前上は「問題」ではない。だからこそ、政府が毎年実施している「不就学」の調査対象は日本国籍の子どもたちに限られているのだ。外国籍の子どもたちはどう暮らしているのか、この国は「公式の無関心」を表明し続けている。私は、こうした「現実」と「言葉」との間には強い関係があると思っている。この国で暮らし、学び、働き、恋愛し、結婚し、出産し、つまり家族を作り、そして遊び、病み、老い、死んでいく。そうした一人ひとりの「人間」たちの姿を想像するには、「移民」という言葉の意識的な否認と無意識的な忘却の両方を乗り越える必要がある。私はそう思っている。ただし――。「移民」というラベルを新しく貼りつけることで、私は現実を見えやすくしようとしながら、同時に現実を見えにくくしているのかもしれない。名前をつけて、数える。何万人、何十万人、何百万人。そうすることで見えなくなってしまうものが、たくさんあるのかもしれない。私は「移民」という言葉を使う。だが同時にこうも言わなければいけないと思う。ただ一人の「移民」が存在するわけではない。存在するのは300万近くの、出自も、年齢も、母語も、豊かさも、貧しさも、友達の数も、滞日年数も、日本に対する思いも、そして、祖国に対する思いも、それぞれが異なる、一人ひとりの人間たちなのだと。私は2017年に認定NPO法人難民支援協会と共にインタビュー主体のウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」を立ち上げた。扱うテーマは「日本の移民文化・移民事情」とし、あえて「移民」という言葉を選んだ。数百万人を数えることはすぐにできても、一人ひとりの話を聞くには一生かけても足りない。この原稿は「まだ名前の無い○○」という新しい連載の一本目になるという。このお題をいただいてからずっと考えていた。名前が無いのは誰なのか。名前が無いのは本当に「移民」の方なのか。果たして「名づける側」には名前があるのか。無名性の陰に隠れているのは名づける力を持った者たちではないのか。「移民」に限らない。「女性」「LGBT」「障害者」――私たちは名づけることで他者を区別し、理解し、満足する。だが、それだけでは足りないのだ。名前をつけながら、すぐさまその名前を溶かしていく。名もなき状態への放置も、抽象的な名づけの暴力も、両方乗り越えるにはどうすればいいのか。私はこの問いを、きっと長く抱えていくことになる。●もちづきひろき1985年生まれ。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。国内外で移民・難民問題を中心に様々な社会問題を取材し、「現代ビジネス」や「Newsweek」などの雑誌やウェブ媒体に寄稿。近刊に『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』。代表を務める株式会社コモンセンスでは非営利団体等への支援にも携わっている。『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』(2019/講談社現代新書)【 今回の担当は望月優大さん です 】経済産業省、グーグル株式会社などを経て独立。趣味の旅では最近、中国のチベット自治区へ行ったそう。フォーラム通信2019夏号8


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