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フォーラム通信2018秋号4お金×生き方差ですから甘っちょろいものです。それでも、当時は一億総中流の幻想が機能していた時代。自分ではどうにもならない違いというものを突きつけられて、世の中の不公平さというものを考えざるを得ませんでした。三世代前から生まれ変わらないと追いつけないほどの豊かな暮らしをしている子たちが羨ましくてならず、平凡な家に生まれた我が身を呪いました。しかしやがて、中庸という言葉を知って考えが変わりました。なるほど贅沢に慣れているわけでもなく、家名を背負わなくてもよく、見合いを勧められることもない私のような身の上が一番自由なのかもしれない。では、生まれつき持っているもので人と比べるのはやめよう。誰も、どう生まれるかなんて選べなかったのだし。これから自分が手にするもので、相手と対等に勝負できるものを探そう。だから、勉強を頑張りました。成績が良ければ多少は心の安定を保つことができたのです。〝女の幸せ〟って!?内部進学で大学に上がると、世界は一変しました。私は、恋をしたのです。生まれて初めての恋を。それは銀行員と結婚して寿退社した姉にも負けないような、好条件の相手でした。「いい学校に入っていい会社に就職して、出世しそうな人を捕まえて海外駐在生活を謳歌するのが女の幸せ」これが私が母に繰り返し教え込まれたことでした。貧しい家に生まれても一部上場企業に勤める男性を捕まえれば、安定したいい暮らしができる。それは母の実体験でもありました。私が就職した1995年は、まだほとんどの女性は腰掛け就職で、寿退社が当たり前。一部の優秀な女性だけが、総合職として働き続けていました。姉は、母の教え通りにいい学校を出ていい会社に入り、一流大卒の一流企業勤務の男性と結婚し、夫の転勤でニューヨークに引っ越しました。だから大学に入ってすぐに、大手銀行に内定していた先輩と付き合うことになった私は「やった、これで私も銀行員の妻の座を射止めた!」と思ったのです。初恋って、なんて物知らずなんでしょう。で、半年後に振られた時、涙が枯れるまで泣き尽くしました。でも泣きながらふと自分が何を悲しがっているのかを分析したら「銀行員の妻の座を逃してしまった」ことを嘆いていたのでした。次は商社か広告会社か。いいところに就職が決まっている男を捕まえなくては。当然ながらそんな優良物件にはがっちり可愛